能登半島 永久に残るもの

能登半島 永久に残るもの

2024-01-28

能登半島地震による被害の余りの甚大さに、識者の中からは、被災地能登での復旧復興を諦めて、被災地丸ごとの移転を進める声まで出ていますが、能登を棄てろとの提言ですね。非常に効率的でスピーディな生活の再建は可能になるかもしれませんが、人々の暮らしは、その土地特有の風土や歴史や文化、伝統などとの深い結びつきの中で営まれてきたものだと思います。(アイキャッチ画像を少し変えました。2/5)

 総持寺に2度目の地震襲来

能登半島地震関連のニュースはどれも心痛むものばかりですが、中でももっとも衝撃を受けたのは、輪島市にある曹洞宗大本山總持寺祖院の倒壊をめぐるニュースです。

というのは、同寺は、2007年3月の地震でも境内の国登録有形文化財17棟全てが被災し、14年もかけて耐震強化も施し、2021年にやっと完全修復を終えたばかりだったそうです。そこに新年早々、またもや地震襲来。国登録有形文化財の多くが破壊されたという。

今回の地震による倒壊というのであればありうることですが、前回の地震被害を受け、14年もかけて完全修復を終えたところに、またもや地震。修復なったばかりのお寺に倒壊の被害。余りにも衝撃的で、わたしはこの日は夜も眠れないほどでした。

そういえば、ChatGPTに能登半島地震について尋ねた際は、
ChatGPT-3.5から4へのブレイクスルーを能登半島地震の中で考えた
今年の1月1日に発生した能登半島地震ではなく、2007年の能登半島地震について紹介してくれました。

しかしChatGPTの3.5も4も、まっ先に教えてくれた2007年の能登半島地震が、今回と全く同じ能登半島一帯で、多数の建物を損壊、倒壊させるほどの巨大地震であったとは想像もしていませんでした。当時は、その種のニュースに接した記憶がなかったからです。

ましてや、2007年の能登半島地震では、総持寺が、格別の保護が必要な国登録有形文化財であるという特殊事情があるとはいえ、修復に14年も要するほどの巨大地震に見舞われていたとは夢にも思っていませんでした。全く同じ地域、お寺、建物が16年後の今年の1月1日に、2度目の地震によって大破壊に見舞われようとは、いったい誰が想像できたでしょうか。

発災当時は、能登の観光名所である輪島朝市が地震による火災で全焼したことは繰り返し繰り返し報道されていました。全焼した輪島朝市の写真を見て、何一つ残さぬほどに完全に燃え果てた市場跡の姿には非常な衝撃を受けましたが、朝市以外の観光名所はさほど大きな被害は受けていないのかもしれないとも考えていました。

しかしネットで総持寺倒壊の動画を見て、こんなことがあるのかと、言葉にできないほどの衝撃を受けました。わたしはこの衝撃的な事実を知って、能登半島地震によって破壊された能登地域の文化財や産業の被害状況が気になり、可能な範囲で調べることにしました。

その筆頭が総持寺ですが、下図は、2007年能登半島地震被害から復興した、同寺を紹介した以下の記事に掲載されていた写真です。

2020-12-22
能登半島地震から13年9カ月、「總持寺祖院」の修復工事が完了しました 輪島たいむす

復興した総持寺の山門
2007年能登半島地震から復興した総持寺の山門

下図は今年の能登半島地震で被害を受けた総持寺。
出典:【能登半島地震】總持寺祖院も被災 曹洞宗 
文化時報

地震で破壊された総持寺

次は、今年の地震で被害を受けた総持寺の様子を撮したNHKニュース動画です。わたしが最初に見て衝撃を受けたのは、14年もかけて修復したことを詳しく伝えていた地元テレビ局の動画ニュースですが、衝撃の余り保存するのを忘れておりました。探しても見つかりませんでしたので、代わりにNHKニュースの動画をご紹介します。

一方、今年の地震前の総持寺を撮した動画や詳細な画像は見つかりませんでしたが、曹洞宗大本山總持寺祖院トップページには、今年の地震の被害を受ける前の写真が何枚もスライドになっていますので、見比べてください。

能登半島地震では大勢の方々の命が奪われ、暮らしが破壊され、発災から一つ月近く経つ今も、地域によっては、生命を維持することすら容易ではない状況がつづいているという。地震の被害は、さらに大きく、深いのではないかと思います。

輪島塗はほぼ全滅

被害は、能登の産業、文化、伝統などを継承し、保存する領域にまで及んでいます。

輪島を象徴する輪島塗の工房なども軒並み被害を受けています。輪島塗関連の事業者の数は約400社あるそうですが、その8割もの方々が地震被害に遭うという壊滅的状況だそうです。(1/28 NHK日曜討論・坂口輪島市長談)

地震被害を受けた輪島塗の工房などの写真や情報はごく一部しか確認できませんでしたが、輪島朝市にも出店していた輪島塗のお店も全て全焼していますので、壊滅的な被害のひどさは想像を絶するものだと思います。

そうした中で、非常に奇妙な被害現場を撮した写真が目に入りました。以下の画像です。

この画像は朝新聞が出典ですが、似たような写真はいろいろな媒体で紹介されていましたので、多くの方がご覧になったと思います。西日本新聞にも出ていましたし、WEBには多数紹介されていましたが、朝日新聞(ポキッと折れたように倒れたビル 「どうして」救助を待つ人の嗚咽)掲載のこの写真が、周辺の様子もかなり広く鮮明に分かる写真でしたので、同紙から拝借してご紹介しております。

一目瞭然ですが、周りの様子は、このビルにつぶされた以外の木造家屋はほとんど無傷であるにもかかわらず、大きな7階建てのビルだけが、まるで浮くようにして倒壊しています。しかも拡大された下図(同じ朝日新聞出典)からも分かるように、ビル自体は、倒壊による損傷はほとんど受けていません。

ビルにおしつぶされた隣接する木造家屋は粉々に壊れています。記事を読むと、このビルに押しつぶされた家屋は他にもあり、信号機まで押しつぶされたという。

周辺の木造家屋は、ビルに押しつぶされた家屋以外は、どれも倒壊も損傷もないにもかかわらず、なぜ、堅牢なコンクリート製のビルだけが、全く損傷も受けぬまま浮くようにして倒壊したのか。これは非常に不思議、不可解な現象です。

(1月1日の震度7の地震以降も毎日余震が頻発していますので、上記写真撮影以降に新たに倒壊、損壊した建物もあるかもしれませんが、1日の強震による被害の状況を確認することは重要な意味を持つと思います。2/1)

被害を受けた方々は、誰に怒りをぶつけたらいいのか、耐えがたい思いに押しつぶされそうになっておられると思います。そんな中、倒壊したビルに特別の焦点を当てることには少なからぬ抵抗を覚えますが、この奇妙さ、不可解さを直視することなしには、能登の復興も日本の防災もありえぬと思いますので、さらに考察を進めることといたします。

この一帯は地割れもないので、地震が一帯をさほど激しく揺らしていないらしいことは地面の様子からも分かります。一帯の地面がさほど激しくは揺れていないので、周辺の木造家屋も、ビルが倒れ込んだ家屋以外はほぼ無傷に近いわけですが、まるでこのビルだけを狙った特殊な力によって、浮くようにして倒されたとしか思われません。

そこで気になるのが、このビルは何のビルなのかということです。ところがこれまた不思議なことに、この倒壊したビルの写真は多数の媒体で紹介されているにもかかわらず、ビルに関する情報はどこにもありません。皆無です。

一帯では、このビルだけが唯一の高層建築物で、おそらく誰もが知っている有名なビルだったはずですが、そのビルの名前すらどこも報じていません。意図的に隠しているのではないかと思われるほどです。

かなりネット検索を重ねて、やっと手がかりが得られそうな、以下のAmebaブログを発見しました。
受け継がれる輪島塗”伝統の美”!五島屋 城下町・金沢本舗 2013年06月21日

10年ほど前に公開されたブログですが、石川県の逸品を紹介している「城下町・金沢本舗」のSATAFF BLOG「受け継がれる輪島塗”伝統の美”!五島屋」です。大正13年(1924年)創業の五島屋という老舗の、輪島塗の数々が紹介されていますが、このブログの最下段に、五島屋の店舗入り口を撮した写真が紹介されています。

この正面玄関の画像だけでも、倒れたビルではないかと推測は可能ですが、さらに検索を重ねてこの画像を拡張するような写真も見つけました。

やっと推測可能になったビル名「五島屋」を手がかりに検索しましたが、倒壊前の写真を見つけることは簡単ではありませんでした。しかし、このビルの正体(真実)を知りたいという一念でやっと見つけました。

それが、以下の画像です。


ここまでくると、倒壊したビルは、輪島塗の老舗、この五島屋のビルであることは明白です。地元の方々はもとより、輪島塗に関心のある方々にはよく知られていた有名な輪島塗のビルであったことは言うまでもないはずですが、ビルに関する情報が徹底して伏されていたのは不可解の一語です。

五島屋ギャラリー・宝石箱

ちなみに、五島屋は1924年創業だとのことですが、ちょうど創業100年目を迎える本年2024年の元旦に倒壊しました。偶然だというには余りにも残酷すぎる偶然です。

また、五島屋よりもさらに古い、創業200年になる輪島塗の老舗田谷漆器は、建物が全壊に近い被害を受けています。のみならず、1月末にギャラリーをオープンする予定だったという。こちらも偶然にしては余りにも残酷すぎる偶然です。

「さらに強い輪島塗に」 材料も職人も失って絶望する老舗漆器店に再起を誓わせた1000件の激励 
1月末にギャラリーオープン予定だった。田谷漆器

田谷漆器・漆銀カップ「春夏秋冬」

他にも輪島塗関係の被害は広範囲に及んでいます。

輪島漆器大雅堂 (全壊でしばらく休業)

輪島漆器大雅堂・輪島塗菓子器「紅葉蒔絵」

輪島塗会館

輪島工房長屋

どの建物も、全壊、半壊、損傷を受けているものと思われます。

加賀百万石を支えた能登の北前船

学生時代、わたしは国文科のみんなと金沢旅行をしました。京都とは違った、落ち着いた雰囲気の古都のたたずまいに魅了されたことを覚えています。以来、石川県を訪れる機会はありませんでしたが、1,2年前だったか、九州国立博物館で加賀百万石の贅を尽くした宝物展(正式の展覧会名は失念)を見ました。まさに加賀百万石の豊かさを映し出した展示でした。

ところで、”加賀百万石”とは誰もが知っている歴史用語ですが、下のランキングをご覧ください。
江戸時代の大名石高ランキング(前編1~5位) : トップはやっぱり100万石のあの藩 

百万石とは、とてつもない石高だったのですね。江戸時代の大名の石高では加賀藩・前田家は第一位です。徳川幕府に次ぐ大金持ちでした。ただし、この石高は上記ランキングの解説にもあるように、「米の生産高だけではなく、海産物や工業製品などの特産品の収入も、石高に換算されていた」という。つまり、当時の藩の全産業における全生産高を意味していたということです。

今でいうならば、GDPに近いのではないかと思います。つまりは、当時の加賀藩(現石川県)は、江戸に次ぐ経済規模を誇っていた、非常に裕福な藩、土地であったということです。前田家は豊臣方についていたので、身分は外様大名でしたが、幕府に次ぐ大金持ち!

実は、この加賀の地に莫大な財をもたらしたものは、北前船と呼ばれた交易事業でした。
北前船寄港地・船主集落(冊子)輪島市

上記冊子をスクロールしていただくと、北前船についての熱い物語(歴史)が次々と姿を現します。

北前船の最大の特徴は、単に荷物を運ぶだけではなく、荷主が直接荷積みした品々を各地で売って回った点にあるという。今とは違い、交通手段が限られた当時、船を使って、北海道から下関までの広域を回りながらの交易事業は莫大な富を生み出しました。

各地の特産品を仕入れては売り、売りながら仕入れるという手法は、非常に効率がよく、仕入れたは品々はほぼ確実に売れることは説明不要でしょう。時には荒れる海相手の命の危険にも遭遇しながらの大事業。莫大な富がもたらされたのも、ある意味当然でした。

日本遺産『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~』輪島市
上記には、「動く総合商社」と呼ばれた北前船について、簡潔に解説されています。

加賀友禅、輪島塗などの今現在も日本を代表する名品も、地方にありながら江戸に次ぐ加賀の豊かさによって生み出されたものであったことはいうまでもありません。実は今回の地震の直前までは、北前船の栄華を印す、船主の一人であった角海家の旧宅が、国指定重要文化財として輪島市内にありました。

下図は、2007年の地震で損壊、修復し終えた角海家住宅の写真です。

角海家入り口

角海家住宅内部

角海家住宅全景

今年の1月1日の地震で全壊した角海家住宅

【輪島市】黒島地区の代表的な廻船問屋住宅である国指定重要文化財「旧角海家住宅」 DISCOVER NOTO

加賀百万石の魅力とは?その歴史・伝統・文化に触れる ほっと石川旅ねっと

この国指定重要文化財も、2007年の地震による損壊を修復して数年経った今年の元旦、またもや地震に襲われ、粉々に崩れてしまいました。

キリコ祭り

地震をめぐって能登について書き始めましたが、非常に有名な土地でありながら、彼の地についてはほとんど知らないことに気づかされ、半ば茫然としています。ネットを介して少し調べ始めたところ、能登の文化の層の厚さに圧倒されています。

言うまでもなく、圧倒されるほどの文化の層の厚さとは、営々と積み重ねられてきた、人々の日々の営みそのものと一体化した文化の豊饒さを意味しています。

それを象徴するのがキリコ祭りです。キリコ祭りは、江戸時代からつづく、「巨大な燈籠「キリコ」が威勢のいい掛け声とともにまちを練り歩き乱舞する」豪快・華麗・勇壮なお祭りだとのことです。

詳しくは以下のサイトをご覧ください。
日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」能登のキリコ祭り 
日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」 活性化協議会

 能登は「祭りの国」である。人々の生活はいつも神仏や祖霊、自然と共にあり、時代が移り生活様式が変わっても、祭りは今も住民の心の支えになっている。能登の祭りは多種多彩だが、中でも「キリコ祭り」と称される灯籠神事は、能登の祭りの白眉である。
 「キリコ祭り」の歴史は江戸時代に遡る。時とともに、海、山を伝って七尾市と志賀町以北の能登一円に広く伝播した。その数は現在でもおよそ200あるといわれている。加えて、開催される期間も7月から10月と長期にまたがっており、この時期、能登を旅すれば必ずキリコ祭りに巡り会えるといっても過言ではない。

能登のキリコ祭り

わたしは、石川県能登に、これほど豪華絢爛、大規模なお祭りがあったとは全く知りませんでした。今回初めてネットで発見して驚愕しています。

わたしは数年前、偶然のきっかけで、地元の福岡博多の祇園山笠を当サイトでご紹介したのを皮切りに、日本全国のお祭りを画像で紹介してきました。
(参照:貿易規制騒動 2019-07-05・・・このブログからお祭りのご紹介スタート、約1年近くつづきました。)

「日本の祭り」などのキーワードで検索しながら、沖縄から北海道までのお祭りの画像を収集しながらご紹介してきましたが、「キリコ祭り」というのは、一度も目にしたことはありませんでした。それだけに驚きの度合いも格別に大きい。なぜ、これほどのお祭りに気がつかなかったのかと、ほんとうに驚いています。

キリコ祭りの豪快・華麗・勇壮さは、実際に見るのが一番だと思いますが、日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」能登のキリコ祭りの数々の写真からも十二分に伝わってくると思います。

輪島市、穴水町、七尾市など、能登半島一帯のほぼ全地域が参加している、他に余り例のない大規模なお祭りです。その数200!期間も7月から10月にまでつづく超長期!破天荒な規模ではないかと思います。つまり、能登は、これほど大規模なお祭りを支えうるほどに、財政的にも文化的にも非常に豊かであったということです。

ユネスコにも登録されて、全国的にも有名な博多祇園山笠は、福岡市博多区にある七流れと呼ばれる地域を拠点に行われる豪壮、華麗なお祭りですが、規模としてはキリコ祭りが上ですね。博多の場合は、江戸時代は、町人が住んでいた博多部と、福岡城があり、武士が住んでいた福岡部が画然と分かたれつつも、両地域が隣接しているという地形や歴史的背景もあるかと思います。

しかしこの博多・福岡も、太平洋戦争では米軍による激しい空爆を受け、一帯が完全な焼け野原と化してしまいました。写真で見ただけですが、ちょうど、輪島朝市の焼失状況と同じような、何もない焼け跡が黒々と広がっていました。

戦時下での空爆破壊と、平時における巨大地震による破壊。いずれの破壊も、絶望そのものの世界ですが、博多では敗戦後の翌年、焼け残った山笠を舁(か)き、焼け跡の残る博多の町を走ったという。無からの復興の第一歩となりました。

キリコ祭りにも無から、あるいはマイナスからの復興をも可能にする力があるはずです。
日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」能登のキリコ祭り
の中からいくつかお祭りの画像をご紹介させていただきます。詳細は上記サイトをご覧ください。

キリコ祭りは200もあるそうなので、全部をここにご紹介することはできませんが、写真を見ているだけでも元気がもらえますね。

全貌はこちらでどうぞ。
日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」能登のキリコ祭り

新しい祭り

先日、西日本新聞に能登で始まった新しいお祭りの紹介記事が出ていました。
地域共同体のやわらかな強さで互助 珠洲という地と人に心を寄せて
「奥能登国際芸術祭」の総合ディレクター北川フラムさん寄稿

2024/1/24 西日本新聞 

新しいお祭りは、石川県珠洲市を舞台に、国内外のアーチストの作品とともに、土地の文化を発信する「奥能登国際芸術祭」として2017年に始まったそうです。昨年も例年通り開催予定のところ、5月に震度6強のかなり強い地震に見舞われたそうですが、3週間遅らせたものの芸術祭は開催したという。

復旧に尽力しつつ開催するのが地域の元気につながると考え、3週間延期の後に始まり、好評のうちに閉会を迎えました。「何とかやれて良かったね」とホッとして昨年を締めくくった後の未曽有の震災。言葉にならない。

北川フロム氏

昨年の地震の災禍を乗り越えてホッとして間もなくの、年明け早々の巨大地震。

「言葉にならない。」これ以外に言葉ありません。北川フロム氏の文章からは、言葉にはしがたい衝撃の大きさと無念さが伝わってきますが、北川氏は、珠洲、能登の風景の美しさ、古くからつづく伝統産業、現在にまで受け継がれてきた海山の神々をお祭りする神事や、豪壮多彩なお祭りの数々など、珠洲の豊かさの源であった、人々の暮らしのありようをも語っています。

読みながら、彼の地を知らない者にも無念の思いがこみ上がってきます。しかし思えば、珠洲や能登の自然や歴史や暮らしは、かつては日本中で共有していたはずのものです。喪失は永遠にはつづかないはずです。

映像を介して、能登に再見し、破壊されたものの大きさを再度確認したいと思います。

石川県能都町 美しい能登!

上記サイトにもある能登を含む、石川県の主要産業である漁業の拠点であった漁港も、大規模被害に見舞われています。

むき出しの海底 傾く船に「信じられない」 石川県内15港で隆起
朝日新聞社
「数千年に1回の現象」防潮堤や海沿い岩礁約4m隆起 石川 輪島
2024年1月13日 NHK

奥能登の神事「あえのこと」

新しいお祭りの奥能登国際芸術祭の作品については、作家の紹介も合わせて、以下の「美術手帳」のサイトにかなり詳しく紹介されていますので、ご覧ください。
強風や荒波を超えて。珠洲市を舞台とした「奥能登国際芸術祭2023」が目指す新たなつながりのかたち
美術手帳 2023.9.25

なお、北川フロム氏の寄稿は、他の地方紙でも紹介されているようです。

さとりの道

能登半島地震で失われたもの、破壊されたものは、数限りなくつづくと思いますが、他では余り見かけないように思われた、穴水町にある「さとりの道」についてもご紹介します。

さとりの道(穴水) きまっし金沢

このリンク先の紹介にもありますように、穴水町の高台に8つの寺社があり、1時間程度で周れる散策路「さとりの道」が整備されているそうです。お寺が集まった寺町は博多にもありますし、全国あちこちにあると思いますが、「さとりの道」のように、石畳や石垣がめぐる中を木々や花々が散策路を彩るという、美しい自然に恵まれた寺町は珍しいのではないかと思います。

一目見るなり、きれいだなあと思いましたが、穴水町も壊滅的な被害を受けていますので、「さとりの道」も無傷ではないはずです。

穴水町のさとりの道

地震前の「さとりの道」(穴水町)

穴水町について

ここは押さえておきたい!七尾のおすすめ観光スポット27選 一休.com

他にもまだまだ、能登半島にはご紹介すべき所があるかと思いますが、
日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」能登のキリコ祭り
に、網羅されているのではないかと思います。

九州でも似たような災害の襲来が

輪島塗の老舗、五島屋ビルの奇妙な倒壊写真については、すでにご覧いただきましたが、この奇妙な倒壊については、専門家の診断記事も出ています。

輪島の倒壊ビル、土台が地中の杭から抜けたか…東大教授「同様の被害は阪神大震災で見て以来」2024/01/09 読売新聞

ビルを支えていた杭がすっぽりと抜けたのが原因だとのこと。7階建てのコンクリート製ビルの土台の全てを杭からすっぽりと抜き上げるほどの強い揺れ、強い振動が発生したわけですが、この周辺では、ビルに押しつぶされた家屋以外は、木造家屋は全て無傷です。このビルだけが強烈な振動に見舞われたということです。不思議ですね。

実は、似たようなことが1,2年前に大分でも発生しています。地震ではありません。豪雨です。大分県にも被害が及んだ熊本地震は2016年ですので、熊本地震から5,6年後のことです。ただ、福岡市を除く九州各県には、地震並の被害をもたらす異常豪雨は毎年のように襲来していますので、何時の豪雨だったかは、即座には特定しがたいですが、去年か一昨年か、比較的最近のことです。

豪雨に襲われた大分のあるお寺が、突然激しい揺れに襲われて、一帯ではそのお寺だけが全壊したという。ご住職がお話しされているのをニュース動画で見ました。

別の事例です。お寺ではありませんが、嬉野だったか、佐賀県の老舗旅館が、異常豪雨に襲われました。異常豪雨は津波並みの破壊力がありますので、旅館は大きく損壊。翌年か翌々年かに、旅館は新築で再建されました。ところが新築再建したばかりのその老舗旅館を、またもや異常豪雨が襲いかかりました。規模こそ違いますが、輪島市の総持寺に似た災害の再来です。

豪雨が数年後に、前回と全く同じ場所をピンポイント的に襲うことが、天然自然で起こりうるのかと大疑問を感じています。いずれも、熊本地震の後に九州を襲った豪雨です。

熊本地方も、熊本地震の後、球磨川流域を襲った豪雨で津波被害のような甚大な被害を受けています。球磨焼酎の蔵本も甚大な被害を受けましたが、この被害から必至で復旧復興を果たし、焼酎をアメリカにも輸出する準備を進めていたところ、またもや豪雨が襲い、甚大な被害を受けています。

福岡県の小石原焼の窯元も、豪雨で窯に大きな被害を受け、存続が危ぶまれるような状況に陥っていましたが、取引先やお客さんからの応援もあり、必至で壊れた窯場を再建。再出発へと足を踏み出したところ、またもや小石原に豪雨が襲いました。今度はろくろまでやられ、その上、材料となる土にまで被害が及ぶほどの大被害だったそうです。

こういう特定地域を繰り返し豪雨が襲うということが、天然自然で起こりうるのか、激しい疑問を感じています。

しかし、豪雨によるピンポイント襲撃を受け続けている九州各地の被災地の皆さんは、三度、四度、五度、、、諦めずに立ち上がっています。

馳知事の無責任さ

ところで、能登半島のありとあらゆるものが地震による壊滅的な被害に見舞われている中、またもや馳知事の無責任さに驚愕させられるニュースに遭遇しました。すぐさまXに怒りの投稿をしました。

文字数制限で批判の一部しか書けませんでしたが、facebookにはもう少し長く書いています。

2次避難先 食事提供なく 避難所戻る人も【被災地の声 26日】 | NHK https://www3.nhk.or.jp/…/20240126/k10014335581000.html

「石川県は県民に対して、二次避難所としてホテルや旅館を勧めていますが、県からの補助も対策もなく、食事なし、駐車料徴収という異常さを放置。無責任、無能。

信じられない無責任ぶりですが、通常、仮に県知事が無能でまともな対策ができない場合でも、職員が緊急時対応を知事に具申して、知事が即効的に対応を進めるように促すはずですが、石川県では、知事以外の職員も無責任なのでしょうか。あるいは馳知事は自分と同レベルの職員を抜擢してるのでしょうか。」

facebookの投稿より

石川県は、2次避難を進めるに当たっても、市町村には事前連絡はもとより、直接の連絡は皆無のまま開始し、市町村はマスコミ報道で初めて知るという、行政能力ゼロとしか思えないような異常な対応ぶりでしたが、避難先での対応はさらに超無責任。

2次避難先に被災者を誘導した後は、避難先のホテルや旅館に全てお任せ。ホテルや旅館が自腹を切って被災者を世話するのが当然だといわんばかりの異常な無責任ぶりです。ほんとに信じられない事態ですが、馳知事には、何としても、被災している県民の命を救いたいという気持ちはひとかけらも無いとしか思えません。

県にも予備費のようなものがあるはずですし、2次避難に必要な予算などうにでも捻出できるはずです。ホテルや旅館には、必要な費用は全て県が持つから、被災者の皆さに安心して過ごせる場を提供してお世話していただきたいとお願いするのが、緊急時に執るべき知事の対応ではありませんか。

県だけでは難しければ、国にも協力を仰ぐ。岸田政権は、震災対応が遅いとの批判を回避するためにも、すぐにも協力に動くはずです。馳知事は、何もしないで被災者を放置したまま。餓死してもかまわないとでも考えているのではないか。

せっかく2次避難先に行っても食べるものがないので、元の避難所に戻らざるをえない異常さを放置している石川県には、まともに仕事のできる職員はいないのではないかとさえ思います。もちろん、そういう人的選択をし、業務の指示を出している、馳知事の意向が全面的に反映されたものであることは言うまでもありません。

あるいは、能登半島地震と政治にもご紹介しましたように、自民党石川県連として、全国に向けて発信した被災者への支援金募集においてさえ、募金先口座に馳浩の個人名口座を登録していたことから類推すると、国からも提供されている被災地支援金も極力使わずに、ひそかに知事個人の懐に入れようと企んでいるのではないかとさえ考えてしまいます。

実際にはそんな公金横領は不可能だろうとは思いますが、2次避難先に県として資金を投じないという姿勢は、そんな類推、邪推すら惹起させるほどに超異常です。石川県民の皆さまは、未曾有の地震被害に加え、馳知事という異常な人的被害まで重なるという二重、三重の被害に苦しめられています。

岸田総理は、馳知事抜きに、直接能登半島地震対策を進めるべきではないですか。馳知事だけではなく、知事周辺の幹部職員も行政経験ゼロの素人集団としか思えないような、無責任で無能な人たちばかりです。

官邸地下には、官邸と全省庁とを繋いで、迅速に緊急対応が可能な設備の整った施設もあるはずですので、国の機関挙げての対応をお願いしたい。

政治資金パーティ問題 

しかし政治家の劣化は、馳知事だけの固有の問題ではありません。今回の政治資金パーティ問題では、大山鳴動、鼠2匹? 検察は腰が砕けてお役目を十分には果たしていませんが、大山鳴動は、自民党政治家たちの、深くしみこんだ腐敗体質をあぶり出す効果はありました。

政治資金パーティをめぐって、今回あらためてあぶり出された自民党政治家による巨額資金の不正使用の常態化は、日本社会の腐敗を先導するものだと思います。この問題の根本には、政治資金に対する会計処理の緩さがあります。

緩いというよりも、使途を明示して記録する必要なしという異常なものです。政治家個人であれ、政党であれ、また税金からの補助金であれ、民間から集めた寄付であれ、政治家・政党が得た収入は全て、領収書等も添付して、収支を明確に記録すべきです。

国民は法人であれ、個人であれ、1円にいたるまで全て記帳が義務づけられています。なぜ政治家だけに、その義務が課されずに、特権的に使途不明で消費することが許されるのか。使途明示を義務づけられたら政治活動はできないというのであれば、そんな政治家は政治家を辞めろ!と言いたい。

また、政治団体(派閥)の財産は無税で継承できるとい特権も廃止して、国民一般と同様課税すべきです。政治資金の無税枠も撤廃すべき!

あるいは、政治家に使途不明OKや無税枠を存続させたり、相続税をゼロにするのであれば、国民(法人・個人)にも、使途不明OK枠や無税枠、相続税ゼロ枠を設けるべきではないですか。

そういう特権が政治家を腐らしているのですよ。なぜ政治家にだけ、税法上の異常特権が付与されるのか。今国会でとことん論議すべきです。不正に手にした資金の使途についても、領収書等の証拠添付で明らかにすべきです。

資金集めを禁止するよりも、収支を1円に至るまで明示化することを義務化することで、カネにまつわる不正はかなり軽減されるはず。名前を伏せて個人献金をしたいという有権者もいるそうなので、寄付に関しては、全てを明示するかどうかは論議する必要はあるかと思いますが、支出は全て使途明示を義務づけるべきです。ルールもすっきり分かりやすく、違反抑止にも効果的です。

当然、収支報告書はデジタル化して公開すべきです。国として、莫大な税金を投入してデジタル化を進めているにもかかわらず、政治資金に関しては除外してきたのは余りにも異常な政治家特権です。

また、連座制の導入も当然であり、必須不可欠です。企業のトップは、企業の不正が発覚した際、現場の担当者の責任で自分は知らなかったという逃げが許されないのと同様です。いかなる場合もトップは、法令遵守完遂の最高責任者です。連座制導入に反対するであれば、民間にも同様の制度を設けるべきです。

政治家の保身を可能にするような様々な政治家特権を許す現行制度が、安倍派をはじめとした自民党政治家の腐敗の土壌になっているわけですから、即刻政治家の破廉恥な逃げを許さない制度にあらためるべきだと思います。

政治が腐ると日本が腐ります。

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