衆院選後、大敗した自民党が国民民主党を新たなパートナーに加えようとしたことから、「103万円の壁」がにわかにそそり立ってきました。扶養控除の問題がこれほど注目を浴びるのは初めだと思われますが、せっかくの論議の高まりも、この壁が抱える本質からははずれているようですので、わたしの個人的な体験も交えて、この壁が孕む問題の本質に迫ってみたいと思います。その前に、衆院選についても一言。
1.統一教会系議員は完全に不問
衆院選は自公政権の大敗に終わりましたが、統一教会系議員は全員公認されていたことを開票後に知って、ええっ、まさか!と驚倒しています。選挙期間中もPC異変に見舞われ、その対応もあって状況把握も大臣クラス止まりのまま、「二つの闇」と選挙を公開しております。
このブログも統一教会に焦点を当てたつもりでしたが、大臣以外の議員にまでは検証できていませんでした。牧原法相は落選しましたが、統一教会から選挙応援を受けてきた上に、2700万円という巨額の裏金を手にしていながら、国会での説明を拒否した萩生田光一氏が当選したことを知って、信じられませんでした。
統一教会問題を長年にわたって厳しく追及してきた、ジャーナリストの有田芳生氏が、荻生田氏の対立候補として立憲民主党から立候補していましたので、有田氏が勝つだろうと思っていましたが、荻生田氏が当選。
なぜなのか、ネットで調べてみたところ、両者の獲得票数は伯仲しており、荻生田氏が79216、有田氏が71683。有田氏は惜敗しましたが、比例で復活当選。
荻生田氏はなぜ当選したのか。以下の記事が、その背景事情についてレポートしています。
2024年10月30日
衆議院選挙 記者が驚いた“組織戦” “政治とカネ”無所属の萩生田氏はどう戦った? NHK
荻生田氏は裏金問題で非公認となったものの、選挙区の東京24区内八王子市の出身で、その地盤は、市議、都議時代から続く強固なものだという。そこに加えて、高市早苗氏や茂木敏充氏、小林鷹之氏らをはじめ、元衆議院議長の伊吹文明氏など、自民党の有力議員や重鎮が次々と応援に駆け付けたという。さらには、安倍元総理の明恵夫人までもが応援。
自民党非公認とはなったものの、まさに記事タイトルにあるように、明恵夫人も含めて、自民党挙げての陰の組織戦が展開された上に、公明党も、公認こそはしなかったものの裏で応援。驚いたことには、小池百合子都知事までもが応援メッセージを寄せていたという。
さらにさらに驚いたことには、維新の前代表松井一郎氏までもが応援に駆け付けたという。
維新前代表が萩生田氏を応援 公認候補擁立の東京24区で
2024年10月19日 東京新聞
松井氏は兵庫県前知事の斎藤氏をも応援していますので、「維新」とは名ばかりの旧来型腐敗政治を全面的に支持する政治家であることがさらに露わになりましたが、松井氏こそが維新の正体を体現しているのではないかと思われます。
さらに不可解なのは、荻生田氏が立候補した東京24区からは、維新からも佐藤由美氏が立候補しています。にもかかわらず松井氏は、一人しか当選できない選挙区で荻生田氏を支援!批判票が維新候補に流れることを阻止することが狙いであることは明々白々です。
松井氏にこれほどの行動を促したのは、維新の会の執行部ではないことも明々白々です。では誰か?おそらく、荻生田氏の強力な支援者からの要請だったのではないか。その支援者は、荻生田氏の応援に駆け付けた面々を見れば推測できそうです。
例えば、安倍明恵夫人一人に目を向むけるだけでも十分に推測可能ではないかと思います。明恵夫人は当然のことながら、故安倍元総理の代理として荻生田氏の応援に入っているはずですが、安倍元総理といえば、自民党の保守本流だと自他ともに認めている、自民党の最高幹部でした。
しかし自民党が体現する保守は、言葉本来の意味「旧来の風習・伝統・考え方などを重んじて守っていこうとすること。また、その立場。—派」⇔革新」(「デジタル大辞泉」小学館)とはかなり異なっています。特に近年の自民党は、旧来の風習や伝統を守るどころか、破壊するような政策を実行してきたからです。
例えば、安倍元総理の保守度が最も強力かつ分かりやすい形で示されるのは、ゴールポストを次々と動かしながら、エンドレスに不当な要求を続ける韓国に対しては、断固とした対応をとるというパフォーマンスを示した場合ではないかと思います。
マスコミの報道ぶりもあって、安倍元総理のこの毅然とした対応には、わたしも何度も拍手を送ったものですが、実は、日本にとっては永劫に続きそうな、韓国による日本の国益棄損活動に対しては全くの無抵抗を貫いてきたのが、安倍元総理をはじめとする自民党保守政治の実態です。
表向きは日本の国益を守るというポーズを取りながら、ウラでは韓国に拝跪するという売国政治を実行してきたのが、保守政党自民党の正体ですが、この自民党保守層を牛耳ってきたのが統一教会です。統一教会の教義の核心は、日本は韓国に対して植民地支配の贖罪を永遠に続けること、ここに尽きます。
表面的には、統一教会の政治的原理は一見保守的にみえますが、語本来の意味での保守とは無縁。保守層というのは、日本に限らず、その国や地域において無意裏に保持されてきた、伝統的な価値観を強固に体現しています。その無意識的な価値観とは、思想的にはリベラルな人々をも包含するほどに広くて深いものですので、保守層を配下に置くことは、統一教会の基盤強化の礎となるものです。
また、統一教会が若者に純潔を要求したり、同性婚に反対するのも、統一教会の重要な資金源の確保や、家族丸ごと信者にして代々信者が引き継がれるという、信者の拡大再生産体制を危うくするからです。
個人の自由を完全に剥奪した中で実施される合同結婚式も、式そのものが収益源の一つになっている上に、盲目的な信者を家族単位で増殖することができる、唯一無二の異様な人心支配装置となっています。
統一教会の信者になると、その家族丸ごと貧窮に陥り、家庭崩壊の危機に直面するようなことになっても、資産収奪は容赦なく実施されてきましたので、統一教会から改名した、「世界平和統一家庭連合」は語本来の意味からは完全に逸脱した、信者にとっては家庭崩壊をもたらす組織であることには変わりはありません。
収奪被害に遭った信者の家庭は、平和とはほど遠い破壊に見舞われています。統一教会の教祖ご本人の家庭の平和と繁栄のために、信者一家はひたすら滅私奉公を強いられているのが、統一教会こと世界平和統一家庭連合の実態です。
自ら信者になった親世代も被害者ですが、それ以上の被害を受けてきたのは、選択する自由も奪われたまま、暮らしの場である家庭を破壊されてきた2世信者たちです。統一教会被害者の中には、貧窮に陥り、生活保護を受けざるをえなくなった人々もかなりいるはずですが、自民党政権は、この日本破壊集団を延々と擁護してきました。
しかも、安倍元総理銃殺という衝撃的な事件を受けてもなお、統一教会と本気で手を切ろうという動きすらみえません。荻生田氏応援に駆け付けた明恵夫人や高市早苗氏など、保守系政治家の動きからも、反省の気配は全く伝わってきません。
そもそも石破総理からしても、衆院選の大敗を受けて裏金議員には多少なりとも批判を考慮した対応を見せていますが、統一教会関係議員に関しては完全に不問に付しています。
裏金も統一教会も自民党にとっては闇の闇。統一教会も裏金同様、徹底的に排除すべき悪疫です。
しかしなぜか、マスコミも裏金オンリーな雰囲気で報道していますので、石破政権の統一教会受容姿勢に対しても批判らしい批判は聞こえてきません
わたしは政治的には保守的な人間ですので、山上容疑者による銃殺事件が発生するまでは、安倍元総理を基本的には支持していました。しかし、今なお続く統一教会の悪業の数々を知ったことと、安倍元総理はその統一教会の強力な保護者であることを知って以来、自民党の保守的思想には不信を抱いています。
しかし、日本では保守といえば統一教会が背後に張り付いているのが大半ですので、日本で語本来の意味での保守的思想を実践するのは容易ではありません。
統一教会は日本人信者から巻き上げた巨額の資金を使って、アメリカの保守層にも食い込んでおり、アメリカ大統領に返り咲いたトランプ氏も統一教会とは緊密な関係にありました。しかしトランプ氏の場合は、巨額の献金を得たという一種のディールの結果のようにも思われますので、身も心も捧げるという、日本の政治家の忠臣ぶりとはかなり違っているのではないかとも思います。
しかも日本の場合は、保守の極北には皇室がありますので、保守攻略を進める統一教会は、この極北をも射程に収めているはずです。日本のこの特性を踏まえると、国家的危機としては、日本の場合はアメリカ以上に深刻だと思われます。
2.103万円の壁
少数与党ながら、比較第一党である自民党の石破茂氏が総理大臣に選ばれましたが、少数与党ゆえ野党の協力を得ることは必須不可欠。パートナーとして国民民主党が選ばれましたが、国民民主党は協力する条件の一つに「103万円の壁」の撤廃を求めており、目下、日本中の関心はこの壁に向けられています。
主婦が夫の扶養下でパートなどで働く場合、年収が103万円を越えると所得税が引かれることから、パートで得た収入が減るその分岐点を指して「103万円の壁」と呼ばれているそうですが、以下のNHKの非常に分かりやすい解説を見れば、かなりの誤解も混ざった騒動のようにも思われます。
103万円を超えると所得税が発生するといっても、103万円までは無税、103万円を超えた分にだけ課税されるので、パート収入が激減するほどの額ではありません。にもかかわらず、なぜこれほどの騒動になるのでしょうか。
おそらく、103万円を超えると夫の扶養からはずれ、扶養であることに付随する様々な特典が受けられなくなるという、大きな誤解が背景にあるように思われます。
奥さんが夫に扶養されている場合、夫は扶養控除が受けられますし、被扶養者である奥さんや子供さんも保険料を払わずに夫の社会保険に入れます。夫の給与から扶養控除が引かれるか否かや、奥さん自身が保険料を払うか否かは、額も大きいので「壁」とみなされるのも当然だと思います。
扶養控除がどれほど大きなものであるかは、わたしも個人的に実感して驚いたことがあります。わたしは夫であった久本三多と離婚しましたが、離婚後も三多の扶養が続き、子供たちのみならず、わたしも三多の健康保険を使っていました。
この保険証は、わたしと3人の子供たち用に別に作られたものですが、離婚しても、わたしも三多の保険証が使えるのかと驚きつつ受け取りました。わたしは、乳がんを手術した後は、ほとんど病院に行くこともありませんでしたが、ありがたく受け取っていました。
扶養制度については、当時は詳しいことはほとんど知りませんでしたが、多少はその知識のある現在振り返ってみて、公にしても法的には問題はないのかとも思いつつも、長年経理を担当していたSさんがこうした処理をしていたので、法的にも通用していたのだろうと思います。
離婚後も続いたこの変則的な扶養は、わたしが複数の予備校で働き始め、ある程度まとまった収入を得るまで続きました。これでは、収入増による扶養はずれに似ていますが、わたしは離婚後何年も経ってから、三多の扶養からはずれることになりました。当時の収入が扶養の水準を超えていたのか否かについては考えたこともありませんでしたが、いくらなんでも何時までも三多の保険証を使うのはみっともないと思い、はずすように三多に頼みました。
その結果、三多は、わたしの配偶者扶養控除を受けることができなくなったようです。その件で、三多からはものすごい額の税金が引かれていると何度か愚痴を聞かされていました。ただ子供たちは三多の扶養に残り、父親の健康保険を使っていましたし、遺族年金も受給しています。
当時わたしは、扶養がなくなって税金が引かれているといっても数万円ぐらいだろうと思っていましたが、葦書房の経営を引き継いでから、帳簿を見てひっくり返りそうになりました。なんと三多の給与からは、毎月30数万円も引かれていました。30数万円とは、一家族が暮らせるほどの額です。
引き継いだ当時は、わたしは税金に関する知識はゼロ、経理の知識もゼロ。全く無知のまま大借金を抱えた葦書房の経営を引き継いだのですが、無知だからこそ無謀な選択をしたのだと思います。当時のわたしは、無知は怖さを知らないという行動原理の実践者だったと思います。
私的な選択においても、わたしの扶養ががなくなれば、三多の給与から30数万円という巨額の税金が徴収されることを知っていたら、籍だけでも戻していたかもしれません。わたしは昔から、給与明細をもらっても、何にいくら引かれているのかほとんど確認せずに、差し引きされた金額だけを確認するというのが習い性になっていました。
ずらずらと数字が並んでいるのは生理的に受け付けないところがあって、無意識のうちに避けていました。しかし葦書房の経営を始めて、経理の人が辞めてからは自分で経理をやらざるをえなくなったのがきっかけで、わたしの数字アレルギーは劇的に変わりました。
それまでは領収書類なども保存する習慣もなかったのですが、会社の経理では領収書は1枚たりとも粗雑に扱えません。おかげで、領収書は全て糊付けして保存する習慣が今も続いています。当時60歳近かったと思いますが、高齢になっても、人は追い込まれると劇的に変わりうるという実例だと思います。
数字アレルギーを劇的に脱することができたということは、おそらくわたしの脳の機能や思考回路にも少なからぬ影響を与えたと思います。
似たようなことは、英語でも経験しています。わたしは、いわゆる学校英語ではかなり優秀な成績を維持してきました。しかし時代がネット社会に入るや、長文の英語が目に入るようになりましたが、英語がズラズラと並んでいると、もうそれだけで拒否反応を起こしていました。
しかし自分でサイトを構築する作業を続ける中で、この英語アレルギーも徐々に解消されてきました。プログラミングは英語がベースになっていますので、サイトの仕組みを理解するためには、いやでも英語を相手にせざるをえなかったからです。
サイトも自分で作らざるをえない環境にあったことに加え、それ以上に、人類史を画するデジタルという新技術への興味が英語アレルギー解消の原動力になりました。とはいえ、能力的にはわたしの英語力は中学生程度だと思いますが、英語への拒否感はなくなりました。高齢になっても、人は変わりうるというもう一つの実例だと思います。
わたしの長い体験談が入ってしまいましたが、奥さんの収入が増えて扶養からはずれると、ご主人の給与からは奥さん分の扶養控除が消えるので、かなり大きな減収になります。しかしこれは103万円ではなく、激変緩和で150万円に設定されたとのこと。また奥さんがご主人の社会保険からはずれるのは130万円以上だそうですし、それにもいろいろ条件もあり、複雑すぎる仕組みになっています。
ということで「103万円の壁」は、実態とはかけ離れた意味合いで政治化されているように思います。
わたしは結構長く学童保育の仕事を続けていますが、指導員の多くはご主人の扶養下で働いている方が多いようです。実働時間3時間+αという短時間勤務の学童保育は、その仕事の内容からしても、主婦や高齢者にピッタリな仕事だと思います。
とはいえ、実働時間が3時間をかなりオーバーする場合も多く、扶養を維持したい場合は時間調整をしておられるようですし、計算したりするのがめんどうなので、ご主人の扶養からはずれて、ご主人の扶養控除がなくなったことも含めて、収入減になったという方もおられるようです。ご主人の給与が20万円ほど減ったという例もあったそうです。
葦書房で経理を担当していた時も、扶養控除などの処理はしたことはなかったので、扶養控除については、「103万円の壁」が問題になった今回初めて詳細を知ったばかりですが、複雑すぎますね。
働いて収入が増えるとかえって実質手取りが減るというのが、「103万円の壁」が象徴する課題ですが、壁をもっと高くすれば問題は解決するかといえば、それほど単純ではないことも事実です。
「手取りを増やす」政策の目玉として、「103万円の壁」の撤廃をアピールしてきた国民民主党が誤解をまき散らしているともいえそうですが、こんな複雑な仕組みを作ってまで、専業主婦を保護する必要があるのかと根本から問い直すべき問題ではありませんか。
かくいうわたしも長年専業主婦を続けておりました(家で、葦書房の編集の仕事を手伝うという程度の内職はしたことはありますが)ので、専業主婦保護制度の恩恵を受けており、この保護制度がなければ、少額とはいえ、年金を受給することもできませんでした。
しかしそれでもなお、わたしは自分の体験からも、子供は夫の扶養に残し、配偶者の扶養は撤廃すべきだと思います。そして、主婦も自分で社会保険料を納めるという単純で分かりやすい制度にする方が、社会保障制度としては強固なものになるはずです。
3.人生100年時代の社会保障制度
「103万円の壁」を撤廃すると、7兆円から8兆円の税収減になることが壁撤廃の大きなネックになっているとして論議になっていますが、人生100年時代という、数十年前までは誰もが想像すらできなかった長寿社会が急激に進む中、専業主婦特権策をさらに強化することは、反時代的な政策ではありませんか。
そもそも、ご主人の扶養だけで、奥さんの100年まで支えることは、物理的に不可能ですよ。
配偶者の扶養を撤廃して、専業主婦も自分で年金を納めるという、非常に分かりやすい制度になっていたら、専業主婦時代が長かったわたしも、自分で国民年金を払っていたはずです。夫の扶養下では払わなくていい上に、離婚後も三多の扶養が続きましたので、社会保険そのものについて考えもしませんでした。
複数の予備校で働き始めてからは三多の扶養からははずれましたが、予備校は時間単価は高いものの、時間単位での契約ですので、一般企業のような社会保険制度への加入義務はなく、自分で国民健康保険や国民年金に入るのが一般的でした。
今回のテーマが呼び水になって、何十年ぶりかで当時のことを思い出しながら書いていますが、国民健康保険や国民年金に入ったのかどうか記憶は曖昧です。年金記録にもありません。子供たちは、三多の存命中は三多の扶養に入っていましたが、わたしは、扶養からはずれた後はどうしたのか。病院に行くことはほとんどないとはいえ、健康保険証なしの生活は考えられません。
記憶は曖昧ですが、予備校勤務は2年ぐらいで終わり、純真女子短大に正規で採用されて、私学共済の社会保険に入ることができました。三多の死後、葬儀が終わってすぐに、後を継いだ三原さんからは、子供たち用に発行されていた健康保険証の返還要求がありました。三多が亡くなったので保険証を返すのは当然のこととはいえ、葬儀直後の返還請求には、三原氏の冷酷さしか感じませんでした。
幸い、わたしは短大の共済に入っていましたので、子供たちはわたしの扶養下に入りました。しかしその短大では、授業の盗聴という異様な事態に遭遇し、短大も5年で退職を余儀なくされましたが、退職後も数年、私学共済保険は続けておりました。
ということで、わたしは自分で年金を納めた期間が短く、年金が少ないという悲しい現実を日々味わっています。
わたしは特殊な経歴をたどってきましたのでそのまま一般化はできませんが、専業主婦特権は、主婦を守っているようで主婦の老後までは守ってはいないということです。わたしの体験もその一事例になるはずです。
西日本新聞も、「目先の手取り増か老後の安心か」という見出しでこの問題を大きく取り上げていましたが、保険料を納める現役時代よりも退職後の暮らしの方が長いという、人類史初の長寿時代を破綻なく維持する必要に迫られている現在、専業主婦特権を強化するという政策は狂っているとしか言いようがありません。
また、扶養内でパートで働いて生活できる人は、4割を超えるという非正規労働者よりも上位の階層の人々だと思いますので、この特権強化の恩恵を受けることができる人たちは、ごく一部の人々だと思います。
専業主婦も家事労働で家庭を支えているので、その労働の対価として特権を付与されるのは当然だという声もありますが、奥さんがフルタイムで働いている家庭でも、なすべき家事労働にはさほど大きな差はないはずです。
専業主婦の家庭では、家事労働の大半は奥さんが担い、ご主人は仕事に専念できる環境にあるはずです。一方、共働き家庭は、ご主人も家事労働の一部を担って家庭を維持しているのが一般的だと思いますが、どちらがより過酷かといえば、言うまでなく、共働き家庭です。フルタイムかそれに近い共働き家庭は、専業主婦特権を受けることができず、老後に恩恵を受けるとはいえ、所得税も社会保険料も各自が払っています。
これほど不平等で理不尽な制度はあるでしょうか。
また、近年は専業主婦よりも、パートや正規含めて働く女性が増えていますが、働く女性の地位向上は、国際社会からも厳しく求められています。時代の趨勢からしても、専業主婦特権のさらなる強化は、時代錯誤もはなはだしいといわざるをえません。
壁を高くして、専業主婦特権を強化した結果、税収減になった穴埋めは全国民に及びます。特に下層の暮らしを余儀なくされている人々に、特にしわ寄せがくるのではないか。
「103万円の壁」の提起を受けて、専業主婦特権が必要か否かの論議を加速させ、これほど不平等で理不尽な特権は廃止して、配偶者のみならず、中高大卒業後に就業した子供たちも含めて、全国民が社会保険に入り、保険料を支払うという分かりやすいい制度にすべきではありませんか。これこそが、人生100年時代下にあって、社会保障制度を維持強化するための施策ではないですか。
自力で加入できない人々には、漏れのない救済制度を作ることは必須不可欠ですが、この政策が実現するならば、そのきっかけを作ったことで、国民民主党の提案も評価されると思いますよ。
そして年金制度の仕組みについては、義務教育の中学校でその基本を教えることは不可欠です。わたしは、年金については受給後にその仕組みを徐々に知るようになりましたが、それまではほとんど知りませんでした。無知は暮らしを危うくします。
能登の被災地は放置されたままなのか
なお、石破政権は、過酷な冬が間近に迫っている、二重災害に苦しめられている、能登の被災地への復旧支援に力を入れているのでしょうか。第二次政権発足後、石破総理はすぐさま、防災庁発足への準備を指示していますが、能登の復旧を加速せよとの指示を出したとのニュースは見聞きしていません。雪で動きが取れなくなる過酷な寒さの中、被災地を凍死させるつもりなのでしょうか。