目次
「葦の葉ブログ2nd」より転載
本号では、5月21日にご逝去された画家菊畑茂久馬氏への追悼の思いをこめて、氏の作品の一部をご紹介させていただきます。
1.プログラミングは不思議の宝庫
新型コロナの第2波襲来の恐れはあるものの、自粛要請解除後は、徐々に経済活動も再開し始めていますが、これまで隠れていた様々な問題も一気に噴き出しました。日本のデジタル政策の超後進性もその一つ。日本のデジタル=IT技術の水準ではなく、「政策」、つまりは日本政府によるデジタル=IT政策が世界標準よりもかなり遅れていることが、オンラインによる10万円給付騒動によって、全国民の前にむき出し状態になりました。
わたしは十数年前から、日本政府によるピントはずれなデジタル政策批判を展開してきましたが、無名のばあさんの批判や提言など政府に届くはずもありません。しかしここに来てやっと、全国民がその事実を知るに至ったわけですが、政府も含めて日本国民がどこまでこの事態の深刻さを理解しているのかは、はなはだ心許ないというのも事実です。
一部の専門コース進学者を除けば、2020年の今日まで、全ての本国民は実のあるデジタル教育を受けていませんので、政治家や官僚も含めて日本国民のほとんどがデジタルの何たるかを知らないからです。
わたしのデジタル開眼は、20年ほど前に初めてIBMのホームページビルダー(現在は日本のJUST SYSTEMが継承・展開)を使ってホームページを作成したことがきっかけでした。このソフトを使えば、全くの素人でも自由自在に自分の思い通りのデザインでホームページを作ることができるという体験は、衝撃以外の何物でもありませんでした。デジタル技術は、人間の能力を無限に拡張しうる技術ではないか。この新技術の真髄を、身をもって知った驚きと感動を含んだ衝撃でした。
しかも画面に表示される枠取りや画像や色などの象形物は、全て文字(英語)や数字などで記述されているという事実は、衝撃を通り越して謎そのものでした。
その後、これらの自然言語やそれに近い言語による記述は、コンピュータが直接受信(理解)する0と1の2進法による物理的な信号(機械語)を、人間が理解しやすい自然言語(それに近い言語)に翻訳したものだということも知り、謎も少しは解けましたが、文字で記述されたものがなぜ視覚的な画像として表示されたり、音となって耳に伝わるのかは、素人であるわたしには今もって謎であり、不思議そのものであることには変わりはありません。
この謎や不思議は、デジタル以前には存在しなかったものだと思います。デジタル以前と以降を画するものは、言語(機械言語⇒自然言語)=プログラミングが技術の核心になったことだと思いますが、デジタル技術が生活の隅々にまで浸透するに至ったここ20年ほどの間、現在に至るも、日本人は誰も学校教育においては、この科学技術の基礎についても核心についても学ぶ機会はありません。歴代政権は例外なく、デジタル教育を学校教育に導入することをとことん避けてきたからです。
小泉政権時代では徹底した予算カットで、それまで、私立高校などの有志の生徒たちが参加していた、若者を対象にした世界プログラミング大会への参加費用すらカットされしまったほど、冷遇されていました。以降、デジタル教育に対する趨勢は変わらず、無視に近い扱いが続いています。
安倍政権になって初めて、小学校からのプログラミング教育の導入が決定されました。これは画期的な変化だとは思うものの、この方針が実効性を持つに至るまでにはかなりの時間がかかりそうです。というのは、最近、次々と明るみに出ている安倍政権の正体を見ていると、ほんとうの知恵者、ほんとうに力のある人は、政策決定の場に参画する機会は与えられず、政権にとって都合のいいイエスマンしか採用されていないらしいということが判明しているからです。
とはいえ、デジタル政策、デジタル教育に限っていえば、歴代政権の無策に加え、マスコミ、ジャーナリズムや有識者たちも有効な批判や提言をしてこなかったのではないか。日本のIT化政策の遅れそのものを指摘したり批判する記事などは数多く目にしましたが、義務教育へのIT教育導入の遅れを指摘した論評は、唯一の例外を除いては見たことはありません。
その唯一の例外とは、読み書きそろばんに加えてプログラミング教育の必要性を唱えた、TRONの開発者である坂村健東大名誉教授です。インターネットの父と称される村井純慶応大学教授も同様の主張をなさっているようです。(プログラミング教育が必要な本当の理由/村井純#08 )
国の安全保障にとっても我々の日々の暮らしの安全を確保するためにも、全国民がデジタル技術の基本と核心を学ぶことは必須ですが、それ以上にこの新技術の不思議に遭遇する体験は、子供たちにとっては学ぶ楽しさや喜びを味わえる絶好の機会となるはずです。
この不思議に遭遇する体験は、言葉による説明だけでは味わうことは不可能であり、実際にプログラミング、あるいはそれに類する体験によってしか味わえない喜びだと思います。もちろん子供たち全員がプログラミングに喜びを感じるとは思われませんが、言語を記述することでモノが動く、姿を現す、声や音を発する、あるいはキャラクターたちが様々な動きをするという体験に遭遇するならば、この技術の詳しい仕組みや歴史的背景を知らなくても、子供たちは少なからぬ驚きを覚えるのは間違いないはずです。
プログラミング教育は、この驚きとの遭遇の場を提供することを基本にすべきだと思いますが、実際のカリキュラムはこうした驚きや学びの喜びを誘引するものになっているのかどうか、気になるところです。驚きや学びの楽しさを知ったならば、子供は未知の世界にも臆せずチャレンジします。
以下にご紹介する天才プログラマーもそのお一人です。彼は小学生の時からプログラミングを始めたという。他にも数少ないながらも、日本にも天才プログラマーと呼ばれる若者が何人かいますが、わたしが目にした範囲では、彼らは皆、小学生の頃からプログラミンを始めています。
天才プログラマーが2週間で構築 テレワークシステムが好評 産経新聞 2020.6.13
2.IT政策統括組織の不在
しかしプログラミング教育やデジタル教育の遅れは、単に教育分野の問題であるだけではなく、日本の統治機構の問題としても考えるべきだと思います。具体的にいえば、この人類史を画する新技術は、文科省や経産省などいう既存の所管域には収まりませんので、情報技術専用の役所を創設すべきであるにもかかわらず、日本には今に至るも情報技術を所管する役所が存在しません。
IT,AIというデジタル技術は、あらゆる産業、あらゆる分野、空間的には宇宙から深海底にいたる全領域をカバーし、現在、未来、過去という時間軸さえをも突破しかねないほどに時空の壁をも超えうる能力をも獲得しつつあります。SF的ですが、SFが現実のものに近づきつつあります。
時間の壁を突破するにはまだ時間がかかりそうですが、あらゆる産業、あらゆる分野をカバーする技術であり、実際に運用が始まってすでに久しいわけですが、この地球上の全領域をカバーしクロスする技術を文科省だけで、あるいは経産省だけで、あるいは総務省だけで所管するのは現実的にはもとより、技術を支える理念からしても無理がありすぎます。
日本では情報技術を所管する役所はどこなのか、全く不分明。というよりも、存在していないのです。にもかかわらず、デジタル機器の導入や役所や企業や学校や病院や様々な分野での作業のデジタル化だけは急速に進みました。しかしその挙句が、10万円給付をめぐるオンライン大騒動です。
政府はこの騒動はマイナンバーカードと銀行口座が紐づけされていなかったゆえに発生したものだと総括し、同じ事態を招かいないために、マイナンバーカードに口座を一つ(口座全ての登録には批判続出)登録することを義務付ける方針を明らかにしました。確かに両者が紐づけされていたならば、入金作業はもっとスムーズに進行したであろうことは事実だと思います。
また日本ではマイナンバーカードへの批判、警戒感が非常に強く、カードへのアクセスにもいくつも関所(パスワード)を設けた結果、カード所有者ご当人すらアクセスできないという事態が続出し、混乱に拍車をかけました。しかもパスワードの再設定には役所にまで出向いて手続きする必要があるというほどの、念の入った不正侵入防止策?今後はWEB上ですべての手続きが済むように改善するという。
しかし対症療法的に、あるいはポイント的に修正するだけで問題は解決するのかといえば、決してそうはならないはずです。というのは、日本では役所のIT化を統括する部門がなく、各省庁ごとに個別にシステムを構築しているからです。さらには各自治体もそれぞれ個別にシステムを構築しています。
このてんでんバラバラ方式では、初期の導入費用のみならず、メンテナンス等のランニングコストも日本全体で見ると莫大なものになります。のみならず、方式が異なることから、国と自治体間での接続にも支障をきたすこともあります。マイナンバーカードの混乱の一つに、両者の方式上の連携齟齬も原因の一つであったとの報告も目にしました。
しかしシステムを受注するIT企業にとっては、てんでんバラバラ方式ほどありがたいものはありません。韓国企業もいくつかの地方自治体のシステム受注に成功していますが、自治体の情報の保管庫ともいうべきシステムを韓国企業に委託するとは、危機感がなさすぎますね。
しかも日本人の身分を証するもっとも重要な戸籍謄本も、デジタル化に当たっては、法務省が所管する事業とはなっていたものの、その実務を担う市町村ごとにてんでんバラバラに作られており、書式すら全くの不統一です。戸籍謄本の書式がてんでんバラバというのは、余りにも異常ではないですか。デジタル化以前は、戸籍謄本の書式は全国共通だったはず。
実はこの戸籍謄本などのシステム構築事業にも、韓国企業が参入していたのではないかと疑っています。おそらく一部の市町村だとは思うものの、これほど危険なことはありません。市町村はもとより、国レベルでもデジタルの「デ」の字も知らない政治家や官僚によってデジタル化が進められましたので、獲物を狙うハンターにとっては、これほど御しやすい顧客(国)はありません。
平成11年に始まった平成の大合併の結果、それまで3200以上あった市町村の数も現在では1718にまで減少しましたが、戸籍謄本や住民票などのデジタル化は合併前から始まっていますので、3200以上の市町村がそれぞれ個別にシステムを開発したわけです。このデジタル化に投じられた税金は巨額だったはず。
しかも合併でまたもやシステムの改変がなされますので、ここでも新たにシステム改変費用が発生します。これほど無駄な税金の使い方は世界広しといえども、日本以外にはないと断言します。その上、この無駄はメンテナス料として永続的に続くはずです。
情報技術庁(省)のようなIT政策の統括部門が、各省庁共通の基本的なシステム基盤を作り、全省庁のシステムを統一する。都道府県や市町村にも、国が全国共通のひな型となるシステムを作って、各自治体に提供する。こうすれば、国と自治体間のシステム接続も支障なく行われるはずですし、システム関連費用は激減するはずです。また戸籍謄本のような死後も残る重要な記録・証明書も、しかるべき水準を保った書式で全国的にも統一されるはずですし、統一すべきです。
さらに、個々の公的機関のIT化も遅れています。コロナ対応を丸投げにされた保健所でもIT化の遅れは甚だしく、連絡の全てが電話とFAXだったという。しかもFAXを手書きして送り、受信したFAXを手書きで転記するという超ローテクぶり。それでなくても人手が足りないのに、自動化できる膨大な事務作業も全て手動でなされていたという。
これは保健所だけではなく、国の各省庁や各自治体も含めた日本の行政組織全体において、IT・AI化によってなしうる省力化が今なお極度に遅れていることを象徴したものだと思います。このIT化の遅れは、保健所などの末端組織と自治体や国の関連機関とのシステム上の連携の遅れ(連携なし)の表れでもあるはずです。感染者数の把握も手作業によるローテク収集です。この遅れは余りにも異常すぎます。
現代の統治機構の改革というのは、物理的に省庁の統廃合をすることではなく、IT・AI時代に即応できる統治機構へと改革することであったはずです。それをどう勘違いしたのか、切った貼ったの統廃合に莫大な税金を投入し、挙句の果てに、世界でも最低レベルに近いIT後進国になり下がっています。
ちなみに韓国では国と地方とのシステムはほぼ完全に統合されているらしい。統合されていなければ、コロナ対策でもその威力を発揮した、国民の行動履歴をすべて把握することなど不可能だろうと思います。
また韓国では、LGBTの方々が集うクラブでコロナ感染が拡大したことを受けて、今後は偽名を排除して入店者の正確な情報を把握するために、QRコードを使って登録させるシステムの導入が義務づけられましたが、住民基本台帳のようなものと紐づけられていなければ、入店者を個別に特定することは不可能です。
東京では、ホストクラブでの感染拡大を受けて、入店時にお客に名前をかいてもらうことにしたそうですが、ホストクラブのお客が本名を書くとは思えません。日本では個人情報保護の意識が非常に強いので、韓国や中国のようなシステムの導入は難しいとはいえ、個人情報保護意識の強さだけが障壁になっているのかどうかははなはだ疑問。こういう緊急事態に即応できる体制そのものが存在しないというところにこそ、最大の問題があるのではないのか。
中国では、あの広い国土と13億人もの国民の動向を隈なく監視しうるようなので、国と地方のシステム統合は韓国以上に徹底しているはずです。自由の国アメリカですら、今回のコロナ禍では、全国民に向けて一斉に全く混乱も支障もなく、短期のうちに支援金が支給されたらしいので、全国民と連邦政府ないしは州政府とをつなぐシステムが確立していたらしい。
アメリカの例は国会でも何度か紹介されていましたが、オンライン登録で異様な混乱が生じたのはおそらく日本だけだろうと思います。政治家はこの遅れを心底恥ずべきですよ。専門家の多くも日本の政府レベルでのIT化の遅れについても縷々指摘していますが、日本には情報技術を統括する役所がないことの異常性を指摘した人はいないのではないか。わたしは見たこともありません。
日本も2000年前後の頃までは、国のIT化策も世界の先端を走っていたように思います。出版業界関連でもIT化に対応した法改正も進められていました。しかし2000年初頭に始まった省庁再編の大移動以降はその動きはピタリと止まりました。再度動き始めたのは、Amazonが上陸して電子書籍ブームが始まって以降のことです。
自動車の自動運転技術についても、日本は1990年代末頃までは単独で世界の最先端を走っていましたが、2000年に入るとその動きもピタリと止まりました。再度動き始めたのは、アメリカから始まった自動運転技術開発競争が世界中で展開され始めて以降のことです。
他の分野でも似たような動きがありましたが、2000年代に入って以降の10年余りの間、日本ではあらゆる分野でIT機器の導入だけは進んだものの、政府でも民間でもIT化対応への動きは停止ないしは鈍化していました。わたしは2000年初頭から始まった省庁再編は、先端を走る日本のIT化への動きを阻止するためであったととさえ考えています。事実がそれを証明しています。
この間、韓国のみならず、中国でも国を挙げて人材育成を含めたIT化が進められました。そして今や中国は、少なくともIT分野ではアメリカと対抗しうるまでになっています。しかもIT分野での中国の伸長ぶりは中国国内にとどまらず、海外(アメリカ)においてもその存在感を高めています。
前号コロナと日本と米中とでもご紹介しましたが、ジョンズ・ホプキンス大学の世界のコロナ感染者集計サイトを立ち上げたのは、中国出身の同大学院生でした。また、リモートワークツールとしで一気に世界中に利用が拡大したZoomも、中国出身のエリック・ユエン氏の発明です。
コロナ禍で急成長、Zoom創業者・袁征の成功物語 2020.4.25(土) 近藤 大介
コロナ集計サイトにせよ、Zoomにせよ、優秀な中国人がアメリカで立ち上げた事業ですが、政府の統制が極度に強い中国では絶対生まれえなかった事業だと思います。実際、ユアン氏は「透明でオープンな米国のやり方が好き」と語っており、その好きなアメリカ国籍も取っています。
Zoomとはどんな企業なのか 中国生まれがつくった「中国らしくない会社」
その一方でZoomは、中国政府の気に入らない団体などのZoom使用禁止要請をすんなりと受け入れています。実力行使も辞さない中国政府の怒りを買えば、開発拠点を中国に置き、中国人技術者を使って開発を続けている現在の事業体制の継続は難しくなるかもしれず、Zoomとしては、中国政府の禁止要請を受け入れざるをえなかったのかもしれません。
ともあれ、目下世界でもっともホットな話題を呼んでいるZoomの創業者も中国で教育を受け、そのZoomのシステム開発を担う開発現場も中国人技術者であるという事実は、アメリカにとっても日本にとっても簡単に素通りできない問題を提起していると思います。
時代が要請する人材育成は、国家にとってはもっとも重要な課題であり、責務であることを、あらためて突きつけられているということです。
先日、FacebookやGoogleが、人手無用でAIが自らプログラミングする技術を開発しているとのニュースを目にしました。この技術が実用化されると、プログラミングの現場からも人間が追放されることになりそうですが、これは労働者の仕事が奪われるという以上の問題を孕んでいるはずです。
AIが人の手を介さずに単独でプログラミングをするようになれば、IT・AI技術のブラックボックス化が極度に進み、我々人間は、特にIT・AI無知の日本人の大半は、無知蒙昧のままIT・AI機器を使うというよりも、使われるという状態が永遠に続くことを意味するからです。
自ら学ぶAIが半導体設計やプログラム変換の仕事を奪う、技術者に何が残るのか
中田 敦 日経クロステック/日経コンピュータ
IT・AIの進化が著しい時だからこそ、我々人間は、IT・AIの核心に迫るその仕組みを学ぶ必要があります。特に子供たちへの教育は、待ったなしの緊急性を帯びているはずです。しかし悲しいかな、今の日本にはこの緊急性に即応できる組織はどこにも存在していません。政治家、官僚の無知蒙昧、そしてマスコミによる反日的(日本の国益棄損に手を貸す)な異常なまでの偏向報道にその主たる原因があります。
ところで更新予定の本日、本号のテーマにピッタリのニュースが届きました。
コロナ対策で政府のIT活用はコントなのか、透けて見える構造問題
木村 岳史 日経クロステック/日経コンピュータ 2020.06.15
今の日本政府のIT活用策は、お笑いコント並みだと痛烈に批判した記事ですが、お笑いコント並みかそれ以下である、日本のIT政策の惨状を、その場しのぎの対症療法でお茶を濁そうとしている、日本政府の無策ぶりの最大の原因は、国のIT・AI事業を統括する情報技術庁のような組織が存在しないことや学校教育に今現在も実のあるIT教育が導入されていない不可解さには全く触れておられないのは、残念至極です。しかし日本のIT活用超後進国ぶりを容赦なく抉り出しており、日本国民に覚醒を促す効果は十分です。ぜひともご一読を。
3.ジュンク堂福岡天神店が閉店
ジュンク堂福岡天神店が6月末日をもって閉店します。「天神ビッグバン」と称する天神地区の再開発事業の一環で、同店が入っているビルも解体されることになったからです。新ビルの完成は4年後だとのことで、ジュンク堂天神店の再開も4年後になるらしいですが、新築ビルへの入居にはいろいろと条件も変わりますので、再開はあくまでも予定で、確定したものではないとのことです。
4年の空白は長すぎますが、天神界隈で代替店の確保は難しく、閉店となったとのことでした。ジュンク堂天神店さんには葦書房の本の販売でも多々お世話になり、感謝、感謝でしばしのお別れとなりますが、先日、在庫をいただきに上がりました。「ありがとうございました」の一言です。
しかし4年は長いですね。地場のある出版社からは、4年後にジュンク堂が再開されるまでに会社が潰れるかもしれんとの声もありました。しかし弊社はすでに開店休業状態ですので、潰れる心配は無用ですが、4年後の再開時にわたし自身が生きているかどうか分からいないなあとも感じています。4年とはそれほど長いということですね。しかし仮にわたしがこの世から姿を消していても、ジュンク堂天神店の再開を願っています。
リアル書店の最大の功徳は、書評にも載らない未知の本とも出会えることです。あと2週間ほどですが、福岡界隈の方々はぜひとも同店を訪れて未知との遭遇をお楽しみください。なお、同店では店内の整理も進行中ですので、在庫切れでも補充、お取り寄せはできないようですので、不足は他の支店や他店にて補ってください。