川崎・練馬事件の真相

更新を遅らせていたこの二週間の間に、凄まじくも恐ろしい事件が立て続けに起こりました。5月28日に発生した川崎の20人殺傷事件と、6月1日に発生した練馬の父親による長男殺害事件です。あまりのことに、何か呆然とした思いに襲われましたが、「ひきこもり」という言葉で繋がりそうなこの二つの事件が、なぜほぼ時を同じくして連続して発生したのか、素朴な疑問も感じざるをえません。

しかも川崎の事件は、来日中のトランプ大統領夫妻の滞日最後の日、離日前の早朝に発生しました。銃乱射事件が頻発するアメリカの大統領とはいえ、訪日中に悲惨な事件に遭遇し、大統領もかなりショックを受けたのではないかと思います。この日は、トランプ大統領夫妻と安倍総理夫妻が自衛隊横須賀基地で護衛艦「かが」を視察する予定になっており、同日の午前中、予定通り視察が行われましたが、大統領は自衛隊と在日米兵を前に訓示をした際、川崎の事件の被害者に哀悼の意を表明しました。まさに事件発生直後のことであり、この事件の衝撃は相当なものがあったはずです。

マスコミもこの事件の報道一色になり、大統領夫妻の滞日最後の様子や離日のニュースは片隅に追いやられてしまいました。しかもこの事件の衝撃が覚めやらぬ3日後に、練馬の事件です。この事件は、息子を殺害した父親が元農水省事務次官という、超エリートであったことがその衝撃をより一層増幅させました。

この二つの衝撃的な事件の発生で、トランプ大統領夫妻が来日したという事実そのものも一気に遠景におしやられてしまいました。日米関係の緊密化を望まない勢力にとっては、思いもかけない展開になったはずです。しかも、米大統領の訪日という、世界の目が日本に集中しているその渦中で起こった川崎の惨劇は、日本に対する悪印象を一気に世界中に拡散させました。日本の悪評を世界に広めたいと願っている勢力にとっても、願ってもない展開だったはずです。こうした効果を考えたくなるほどに、この事件の展開は、偶然にしては余りにもタイミングが合いすぎです。

川崎の事件が練馬の事件にも影響したことは、父親の熊沢英昭自らが供述しているとのことですので、二つの事件が連動的に発生したのは、ある意味当然だったともいえそうです。しかし練馬の事件は、それまで別に暮らしていた息子の英一郎氏が実家に戻ってきたことが直接的なきっかけになったことも事実です。英一郎氏が独居していたマンションで、ゴミ出しをめぐってトラブルがあったとの話も出ていますので、早晩、彼が実家に戻ることは避け難かっただろうとは思われるものの、川崎の事件の直前の5月25日に実家に戻ってきたという偶然も、親にとっても子にとっても、余りにも悲運、悲惨すぎる偶然ではないでしょうか。

川崎の岩崎容疑者は、事件の4日前に下見に行ってるそうですが、その直後ぐらいに英一郎氏は惨劇の舞台となる実家に戻っています。英一郎氏は、それまで10年という長期間、別の場所で一人暮らしをしていたとのこと。生活費のみならず、超高額のゲーム代などの遊興費も全て親丸抱えとはいえ、10年もの長きに渡って一人暮らしをしていた英一郎氏が、川崎の惨劇が起こる直前の5月25日に、突如、自ら望んで実家に戻ってきたという偶然は、いかなる摂理によってもたらされたのか。この謎は謎のまま放置すべきではないはずです。この謎は、川崎の惨劇とも無関係ではないと思われるからです。

川崎の事件は、犯人本人が事件直後に自殺している上に、自宅にも犯行を窺わせるような物もほとんど残されていないとのことで、動機の解明が難しいとも言われています。部屋にはポータブルゲーム機とテレビしかなく、スマホやPCもなかったという。犯行を連想させるものとしては、大量殺人事件を特集した、10年ほど前のものだという古い雑誌2冊ぐらいしかなかったことも報道されています。

犯人の岩崎は小学校時代に両親が離婚したことから、父親の兄である伯父夫婦に引き取られ、事件まで伯父夫婦の家で暮らしていたという。無職ですが、食事はおばさんが作ってくれていた上にお小遣いまでもらっていたとのことで、最低の生活の保障はあったわけです。部屋もきれいに整理整頓されていたとのことで、部屋が散乱しているという、一般的な引きこもりにつきもののイメージからは遠い。おそらく岩崎は、対人関係を築くのは困難だったにせよ、意識はかなりクリアだったのではないかと思われます。

伯父夫婦は80歳を超えており、介護の世話になっているそうですので、岩崎は伯父夫婦にもしものことがあれば、生活の場を失うとの不安にかられていた可能性はかなり高いかった思われます。伯父夫婦が亡くなればもちろんのこと、自宅介護ではなく、施設にでも入れば、岩崎が伯父の家にいつまでも住み続けることはできなくなると考えても不思議はありません。自宅も含めたその遺産は実子である従兄弟たちが継ぐことも認識していたはずですので、いくら岩崎でも、伯父夫婦がいなくなった後、従兄弟が自分の生活の面倒をみてくれるとはまでは考えなかったはずです。すでに自宅介護が始まっている伯父夫婦です。やがてそう遠くない時期に、伯父たちが自宅から出て行く日がくることは、いやでも認識せざるをえなかったはずです。

そういう想定下で暮らさざるをえなくなった岩崎にとっては、世界は絶望でしかなかったはずです。つまり岩崎を襲った絶望は、文字通り生存を脅かす事態への恐怖だったのではないか。職もなく、職に就ける見込みも全くない中で、伯父夫婦以外に頼るべき肉親も友人、知人も一切持たない岩崎にとっては、この恐怖を封じ込める手段は、自らの死以外にはなかったであろうことは容易に想像がつきます。

と、岩崎の犯行に至る動機には辿り着くことはできましたが、非常に不思議に思うのは、突如の犯行で、たった十数秒の間に、岩崎自身を含めて、20人をも殺傷することが可能なのかということです。初めて刃物を持ったのであれば、まさにあっという間の十数秒の間に、20人も殺傷することは不可能ではないか。岩崎には前科はなく、実際に人を殺したのは初めてではありますが、刃物を使ったバーチャルな殺人シミュレーションを、何度も繰り返していたのではないかと推測します。

岩崎の部屋にはネットはないとのことですが、今時のテレビは全てネット接続仕様のはずです。岩崎のテレビはネット接続以前の古いテレビであればともかく、かなり前からテレビはネット仕様になっていますので、スマホやPCがなく、テレビしかなくても、テレビでオンラインゲームは可能です。オンラインゲームができれば、SNSがなくても、ターゲットにコンタクトを取ることは可能です。おそらく岩崎は何らかの方法で、バーチャルな殺人シミュレーションを使った殺人訓練を受けたのではないか。この殺人訓練を想定しなければ、十数秒の間に、本人も含めた大人3人と子ども1人の計4人の殺人と、子ども16人への襲撃は、物理的に不可能ではないかと思います。もしも雑誌に詳細な殺人方法が図解されていたのであれば、それを見ながら殺人の練習をした可能性も考えられますが、動きのない印刷画像では実地訓練にはならないはずですし、そもそも、そんな殺人指南書は市場に流通させることはできないはずです。しかしweb上ならば、どんな映像でも送り込むことは可能です。

つまり岩崎は、スマホもPCも持っていなかったとはいえ、何らかの方法でオンラインを介し、今回の大量殺人の訓練を含めたシナリオを完成させていったのではないかということです。彼は昼間はほとんど外出しなかったものの、夜には外出していたということなので、ゲームセンターに出かけ、オンラインゲームをしていた可能性も考えられますが、オンラインゲームの常習者は、オンライン上とはいえ、互いに匿名同士の「顔見知り」になりますし、互いに素顔を知らないまま緊密な関係にもなりえます。悪意ある第三者が、この匿名のままでの緊密な関係を利用すれば、オンラインゲームの常習者をコントロールしたり、ある方向に誘導することはさほど難しいことではないはずです。

練馬の英一郎氏がオンラインゲームの常習者であったことはすでに報道されていますが、岩崎はゲームに課金ができるような環境ではなかったものの、無職で毎日家にいる中年男が、ソフト化されたポータルゲームだけで日を過ごしていたとは思えません。ポータルゲームも実に多種多様だそうですが、オンラインに繋がらなければ、有料無料含めたその多種多様なポータルゲームも利用することはできないわけです。そういう環境下ゆえ、ポータルゲーム機にもオンライン仕様のものもあるとのこと。オンラインゲームに背を向けていた任天堂も、方針を大転換しています。おそらくほとんどのポータルゲーム機はオンライン仕様ではないかと、社会そのものがネット化された現下の状況からも、ゲーム素人ながら推測しています。

岩崎も、このゲーム機でオンラインゲームに繋がっていた可能性はかなり高いとも思われます。店で売られているゲームソフトでは、殺人指南書そのもののような内容のものは販売は不可のはずですが、オンラインならば何でもあり。しかもいつでもweb上から削除、消滅させることが可能ですし、ストリーミング(クラウド)型だと端末にも残りません。

ヨーロッパではイスラム原理主義者を使って無差別大量殺人を誘発させ、アメリカでは誰彼かまわず銃を乱射させて無差別大量殺人を誘発させますが、日本では目下のところ、いずれの手法も実行はできません。しかし世界的に見ても日本に特殊的に多い「ひきこもり」をコントロールすると、無差別大量殺人は日本でも可能であることが、あらためて証明された事件でもあったということです。

ではなぜ岩崎は、わざわざ電車を使ってまで、カリタス小の子どもや保護者たちを狙ったのか。この大きな疑問が残ります。様々なメディアでは、岩崎は近隣の公立小中学校に通わされていたが、いとこたちはカリタス学園に通ってという、伯父夫婦から受けた差別待遇が積年の恨みとなって、屈折した形でカリタスがターゲットにされたと、専門家の分析を交えた報道もなされていますが、いとこたちがカリタスに通っていたというのは、目下のところ未確認情報の域を出ません。

この情報は近隣住民の話として伝えられていますが、断定的な内容のものは皆無。あくまでも推量形で語られているものばかり。もしこの話が事実ならば、カリタスの制服には特徴があり、仮に伯父一家と密な交流がなかったとしても、ご近所さんならこの事実を明確に認識していたはず。取材にも「カリタスに通っていましたよ」と明確に答えていたはずですが、いずれも「ようだ」との曖昧な表現で語られているのが何とも不可解です。この話が事実ならば、犯行の動機としては非常に分かりやすくすぐにも採用したいところですが、断定ではないところにひっかかりを感じます。

ということで、川崎の大量殺傷事件には非常に謎が多い。当然、マスコミもこの謎に迫ろうと、様々な関係者に取材を進めるはずだっただろうと思われますが、3日後に練馬の事件が起こりました。両者には「引きこもり」という共通項はあるものの、練馬では被害者、加害者の立場が逆転、しかも息子を殺害した父親は元農水省トップの事務次官。川崎に向けられていた日本中の目が、瞬時に練馬に移り、川崎の衝撃の大きさもかなり緩和され、川崎事件が孕んでいた謎の大きさ、深さに対する人々の関心もかなり弱まり、事件をめぐる議論の論点にもかなり移動が見られています。おそらく練馬の事件は、そうした効果を狙って誘発させられたものではないかというのが、素人探偵の推理です。

10年も一人暮らしをしていた英一郎氏が、実家に帰りたいとの思いを抱くに至るには、何か理由なりきっかけがあったはずです。ゴミ出しをめぐるトラブルも、10年も住んでいて、最近になって急に発生したというのも不可解です。マンションの住民に直接取材して得た情報なのかどうか、疑問を感じます。仮にゴミトラブルもあったとしても、彼が突如、実家に帰ると言い出したのは、何か別の要因もあったのではないか。

英一郎氏が実家に戻ると、家庭内暴力が始まるであろうことは両親も認識していたかどうかは不明ですが、この両親にとっては、「家に帰りたい」という息子の希望を拒む選択肢はなかったはずです。彼は5月25日の午後に実家に帰っていますが、翌26日には両親に暴力をふるっています。この時の暴力は、彼が次に暴力をふるった時は息子を殺すと父親に決心させたほどのものであったことも判明しています。そして28日に川崎の惨劇です。この事件が、父親の供述をまつまでもなく、息子を殺すとの父親の決意をさらに強固なものにしたであろうことも想像に難くありません。

この父親に限らず、川崎の事件後、さらには練馬事件後、福岡でも引きこもり相談窓口には、家族のみならず、本人からも同様の事態を心配した相談が激増しているという。おそらく他地域でも同様だろうと思いますが、こうした動きからも、両事件の連動性は明らかです。引きこもり関係者からは、両者を関連づける見方は引きこもりと事件とを結びつける偏見であり、差別だとの批判声明も出ていますが、ことこの事件に限っては、両者の連動性は無視できませんし、無視すべきではないと思います。

そしてここで注意すべきは、両事件の「引きこもり」当事者間には、いかなる意味でも連関性はないということです。岩崎は5月24日に事件現場の下見に行っていますが、一般的なネット環境を持たない岩崎が、自分の大量殺人計画をネット上限定にせよ、外部に漏らすことはありえないはず。英一郎氏は、岩崎の計画とは全く無関係に、突如、25日に実家に帰り、翌26日には、父親に自分を殺すことを決意させるほどの暴力を両親に対してふるいます。それから間もなく、二つの凶行が連続して発生。つまり二つの事件は、当事者以外の第三者によって誘導されたものだということです。

その結果、時を置かずして発生した練馬の事件は、川崎の事件の衝撃的な印象をやわらげ、川崎事件に集中していた人々の目を分散させる効果を発揮しました。これは誰にも否定できない紛れもない事実です。加えて、引きこもりが絡む殺人事件が連続したことで、病み果てた日本社会の闇の深さをより際立たせ、日本に対する悪印象を国内外に広める効果をも発揮しました。

事件を振り返りますと、岩崎はまず、外務省職員の小山智史氏と名前は不明ながら保護者らしい45歳の女性と、6年生の栗林華子さんを襲いました。小山氏は首や背中を切られて即死。45歳の女性と栗林さんも重傷を負い、搬送先の病院で死亡。他に1年生の女児も死亡しました。子どもを襲う前に、邪魔になる大人を襲うのは犯人にとっては当然の判断だったと思います。

カリタス小殺傷現場

カリタス小殺傷現場(「朝日新聞デジタル」より)

事件現場を再現したイラストを見ると、小山氏、栗林さん、45歳の女性の順に並んで、スクールバスに乗る児童を見守っていたところを、この順番で岩崎に次々に襲われたらしいことが分かります。この日の見守り保護者は他にもいたのかどうか。色々報道を見ても不明ですが、どうもこのお二人だけだったようにも思えます。もしも他にも保護者がいたのであれば取材を受けずにはいないはずですが、その種の報道は皆無。おそらく保護者の見守りは当番制になっていたのではないかと思われます。また同学園では、6年生の児童は低学年児童のサポート役も担っていたそうですので、おそらく高学年の見守り役も当番制だったのだろうと思います。

事件は日曜日に運動会のあった代休明けの火曜日、28日に発生しました。外務省勤務の小山氏はミヤンマー担当とはいえ、トランプ大統領の来日対応で忙しい日々を送っていたはずですが、大統領夫妻が自衛隊横須賀基地を訪問した後、離日するという28日は、小山氏にも見守り当番もできる余裕も出てきた頃だったのではないか。あるいは外務省では職員はそれぞれ持ち場専門で仕事をしているので、担当外の小山氏は通常勤務だったのかもしれませんが、かなり飛躍しているかとは思いつつ、この日、小山氏が当番に当たっていたことは偶然ではなかったのではないかと推測しています。

スクールバスには先生と運転手さんがいますので、見守りの保護者はその反対側に並んでいますが、6年生の栗林さんを挟んで保護者が並び、一番外側に男性である小山氏が立って見守っていました。この順番は偶然だったのかもしれませんが、見守り体制としては万全だったはず。登戸駅を下車した岩崎は、スクールバスに直近する最短コースを採らずに、遠回りして南武線沿いの裏道を通り、コンビニにリュックを置くや、襲撃を開始。小山氏は即死しました。45歳の女性も女児2人も亡くなっておられますので、小山氏にだけ焦点を当てるのは、余りにも恣意的な解釈だと思われかもしれませんが、小山氏は二人とはいないといわれほどのミャンマー専門の逸材だったといわれています。上皇、上皇后さまが小山氏の死を悼むお言葉をご遺族に伝えられたそうですが、このことからも、ミャンマー専門家としての小山氏の仕事が並々ならぬものであったことが窺えます。

しかも小山氏は、ミャンマーの人々とはお役人という枠をも超えた、広くて深い交流をしていたことも様々な報道が伝えています。まさに余人に代えがたい逸材であったのだろうと思いますが、そもそもミャンマー語を学ぶ学生が非常に少ない状況下ですので、小山氏の死は非常に重いものがあるはずです。

ずばり言いますと、小山氏の突然の死によって、日本とミャンマーとのよき関係の流れを断ち切ろうという思惑も、この事件の背後にあったのではないかというのがわたしの推理です。ミャンマーをはじめ東南アジアは第二次大戦中、日本軍が戦った戦場でもあります。裏を返せば欧米の植民地であった地域ですが、欧米の植民地であったことは不問に付され、日本軍による侵略被害地であることのみが一部勢力によって強調される地域です。そうした一部勢力にとっては、日本が東南アジアの国々と良好な関係を築くことは看過できず、絶えず妨害工作をしかけています。

こうした妨害工作は、東南アジア関係のみならず、あらゆる国との交流にも向けられていますが、その個々の事例まで紹介し始めるとさらに長くなりますので、今回はミャンマー専門家であった小山氏を襲った惨劇を通して、日本の対外交流を妨害しようという策動が、絶えることなく日本を襲いつづけ既刊本広告2ていることを指摘し、関係者のみならず日本中に注意を喚起したい。またその勢力は日本を独り占めして、日本の富をむしゃぶり尽くそうとも目論んでいますので、小山氏の惨殺に見るように、邪魔物は容赦なく排除いたします。

大量殺傷事件で、小山氏が意図的に狙われたことまでは誰も想像すらできなかったと思いますが、この事件は様々な効果、役目を負わされて実行に移されたものであったということです。岩崎は、いわばその殺人ロボットに仕立てられたというのがこの事件の真相です。

なお、前号の九州の装飾古墳は、国内外に広く発信したいと思い、画像をtwitterにも投稿しておりますが、ブログ本体には、説明、画像を追加しております。