目次
「葦の葉ブログ2nd」より転載
明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願い申し上げます
令和2年元旦
葦書房 久本福子
今回は「忠臣蔵」関係の写真を掲載します。・・・近くにある興宗寺で12月14日に赤穂浪士をしのぶ福岡義士祭が行われましたので、わたしもお参りしました。スマホで写真もたくさん撮っていたのですが、全て消えてしまっておりショックを受けております。取り損ないの写真を削除したところ、ザッザと別の写真も消え始めたので急いで止めたのですが、その時、義士祭の写真が全て消えたみたい。以下の写真は、関連サイトからお借りしたものです。(2020/1/26 一部追記)
1『「忠臣蔵」の決算書』
かつては12月といえば、話題や演し物の演目の筆頭には「忠臣蔵」が鎮座していました。それほどに、日本人と「忠臣蔵」すなわち赤穂浪士討ち入りに対する親和性は非常に高かったのですが、昨今はほとんど話題にすらなりません。ところが、今年は久々に「忠臣蔵」の映画、「決算!忠臣蔵」が上映されています。しかも従来の「忠臣蔵」物とはかなり趣向の異なった、討ち入りまでの決算、つまりは金銭的収支をテーマにしたユニークな内容になっています。
と、まるで観てきたように書いていますが、実は映画はまだ観ていません。映画の原作である山本博文著『「忠臣蔵」の決算書』(新潮選書 740円+税=814円)を読んでいましたので、観てきたように映画のご紹介をさせていただいた次第です。
本書は、今年の5月の連休にジュンク堂書店天神店で購入したのですが、こういう本が出版されているとは全く知らずに、偶々新書の棚で見つけたものです。何気なく新書の棚を見ていたのですが、面陳(表紙を表に立てて陳列)されていたいくつかの新書類の中に本書も含まれていました。パラパラと中を覗いたところ、面白そうだと思い購入。帰宅後すぐに読み始めたのですが、非常に面白くて一気に読み終えました。
これほど面白いのに、新聞の書評欄では見かけたこともなく、話題になっている気配すらなかったので、出版されたばかりなのかと奥付を確認したところ、何と、2012年11月20日刊! 7年も前に出版されたものです。映画化決定ということで面陳されていたのだ思いますが、7年もの間、話題にすらならず、埋もれた状態になっていたわけです。当然のことというべきか、わたしが買った版は初版のまま、一度も増刷されていません。細部については記憶も薄れていましたので、本稿を書くに際してパラパラと読み返したのですが、思わず読み入ってしまうほどでした。何度読んでも面白い。
しかしこれほど面白くて、類例のないユニークな本がなぜ書評欄にも取り上げらず、マスコミの話題にすらなっていないのか。実は、ここには日本の置かれている「現在」が凝縮されています。ひそかに怒りを感じつつ、すぐにも当サイトでご紹介したいと思いましたが、次から次へと異常な事件・事故などが頻発し、ついそちらの緊急事態への発信を優先しているうちに、ついに年の瀬を迎えてしまいました。
しかし遅れた結果、時期も討ち入りの12月、「義」の喪失が破壊的に進む現下の社会情勢をも直撃しうる本書のご紹介ができますので、時期としてはピッタリではないかと思います。
本書のテーマは、著者の東大教授山本博文氏によれば「忠義だけで首は取れたか」という問いに発するものでした。
浅野内匠頭の切腹から赤穂藩の取り潰しを経て、一年九ヶ月後の討ち入りに至るまでには、「忠義」や「武士の一部」など、武士特有の心性が大きな意味を持っていたのは言うまでもない。
しかし、江戸市中にある旗本屋敷へ、浪人が大挙して討ち入るというプロジェクトを成功させたものは何であったのか。この答を導くためには、彼らの思想面を述べるだけでは不十分である。彼らの行動の組織的なあり方、さらにはそれを支えた資金などへの視点がどうしても必要になってくる。
つまり、忠義だけでは首は取れないはずなのである。(『「忠臣蔵」の決算書』)
著者はお金を媒介にした究極のリアリズムによって「忠臣蔵」の深奥に迫ろうとしたわけですが、この究極のリアリズムによって、おそらく誰もなしえなかったような、「忠臣蔵」の中枢をなす「忠義」の深奥そのものが解き明かされていきます。
本書は残された会計資料を基に「忠臣蔵」を読み解いていきますので、金額や物品などが列記されるページも多数登場しますが、それらの数字やモノたちは、「忠義」という抽象的な概念を物象化する役目を負っていることが徐々に明らかになってきます。
この過程はハラハラ、ドキドキ、スリリングですらありますが、「忠義」を紐帯とする江戸幕府と藩との関係、藩と藩士たちとの関係、浅野家並びに大石内蔵助と赤穂四十七士たちとの関係は、単に思想信条を基盤に置いたものではなく、お金やモノというきわめてリアルなもので保証されていたという、ある意味当然すぎる事実が明かされていきます。
藩主浅野内匠頭の切腹、赤穂藩の取り潰し、そして城の明け渡し。赤穂藩を突如襲ったこの劇的暗転は、即、四十七士の決起へと至るのではなく、非常に膨大で大規模な残務処理、現代でいえば、大企業の突如の倒産と倒産にまつわる膨大な法的処理業務に似た残務整理が、倒産決定後の赤穂藩でも行われます。
おそらく従来の「忠臣蔵」物ではほとんど登場したこともなければ、触れられることもなかった、裏方の残務整理の具体が詳細に書かれています。この残務整理では筆頭家老であった大石内蔵助が陣頭指揮を執るわけですが、この残務整理は、現代の企業会計に則った残務整理に優るとも劣らぬほどに厳密なものであったことに大驚愕いたしました。江戸時代の藩の財務管理においては、藩の財産はごく一部を除き、藩主の私有物ではなく全て藩の公共財であるという根本思想に貫かれていることが、赤穂藩の残務処理資料から明確に伝わってきます。
内蔵助は、次の城主に引き継がれる城附属の幕府の財産以外は全て(武具、米、船、書画や家具調度類など)商人や他藩など各所に売り払って換金し、残務整理を進めます。その内容は、現代の企業倒産や企業閉鎖時の債権債務処理と全く同じです。赤穂藩は、今も赤穂の塩で有名な良質な塩田があり、かなり裕福な藩だったので、藩としては大きな負債はなかったものの、藩札の償還処理に多額の費用を要しています。
藩札とは、各藩が発行している藩内で使われるいわば地域通貨のようなものですが、赤穂藩の藩札は銀に交換する銀本位制の兌換紙幣であったという。赤穂藩お取りつぶしとなると藩札は使えなくなりますので、その報が伝わるや、藩札を保有する商人たちが殺到。
財政豊かであった赤穂藩の藩札は信用度が高く、他藩でも流通していたことが判明します。どうやらニセ藩札まで発行されていたらしい。当然のことながら藩札精算額も膨らみました。現代でもドルが象徴するように、通貨発行者の信用度が高ければ高いほど、通貨の流通域は拡大します。江戸時代の地域通貨(藩札)でも全く同じであったということでした。
しかし内蔵助は、回収した藩札を6割換算で換銀したという。兌換用の銀も規定に従った額が専門の役所で保管されていたそうですが、事情により不足が生じて6割での償還になったという。しかし、突然の藩お取り潰し。紙切れ同然のまま放置されてもやむえないケースだったとも思われますが、現代の倒産企業の債務債権処理でも、これほど誠実な債務返済義務を履行する例はめったにないのではないか。
しかし内蔵助の誠実さはこれだけにはとどまりません。付け買いして未払いであった藩士の借金も代わりに精算しています。藩の取り潰し(閉鎖)に際して、内蔵助は可能な限り負債精算に尽力したわけです。たとえ閉鎖されたとはいえ、藩の不名誉、悪評を残したくないとの思いからだったと思われます。
しかし藩閉鎖に伴うもう一つ大きな仕事としては、企業倒産時同様、藩士をはじめとした赤穂藩で働いていた人々への給与や退職金の支払いがあります。藩の取り潰しとは、身分の上下に関わりなく全ての者の失職を意味するからです。内蔵助は、退職一時金を算定するに際しては、身分の高い者よりも低い者、特に士分以下の下層の従者たちに対して、支給額の割合を高くしたという。いうまでもなく失職による影響は、上層の者よりも下層の従者たちにより強く出るからです。しかも内蔵助自身は、退職金は一文ももらわなかったという。さらには、退職金だけでは生活に窮する元従者たちには、食費相当の資金を追加で分け与えたという。
まさに「ノブレス・オブリージュ」そのもの。「ノブレス・オブリージュ」とは、仏語の「noblesse oblige :高貴さは(義務を)強制する」に発する言葉で、身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、かつては欧米社会や日本でもで広く共有されていた基本的な道徳観。
ノブレス・オブリージュの体現者であった内蔵助の下で、対外的な債務返済や元藩士や下層従者たちへの給与、退職金等の精算を終えた後の残金は、金が六百九十両二朱、銀が四十六匁九分九厘だったという。現在の貨幣価値換算で八千二百九十二円だったという。この8000万円余りの残金が、討ち入りの費用として使われていくわけですが、その収支の一切もきちんと記帳されており、出金に際しては全て領収書を受領していることも記載されています。
残金は、「仏事費(注・主君浅野内匠頭の菩提を弔うため)、御家再興工作費、江戸屋敷購入費(注・江戸の同志たちの活動拠点)、旅費・逗留費、会議通信費(注・飛脚など)、生活補助費(注・同志たちの食費や家賃など)、討ち入り装備品」などに使われましたが、非常に細々とした出費内容が領収書受領とともに記録されています。
そしていよいよ資金も底をつき始めた頃、討ち入りが決行されました。とはいえ討ち入りにも資金は必要です。しかし残金だけでは足りず、内蔵助が七両一分を提供したという。討ち入り用としての直接の出費は、槍や弓矢、長刀などの武具類、忠臣蔵を象徴するお馴染みの白黒模様の陣羽織などの衣類、鉢がね(簡易な兜のような鉄製の鉢巻き。武具?衣類?)などなども、具体的に記録されているという。
ノブレス・オブリージュそのものであった内蔵助の人柄について、四十七士の一人であった下級武士の神崎与五郎が、切腹前に語った次の言葉が残されているという。著者による現代語訳をご紹介します。
去春、赤穂城を引き渡した時に配分した金子も、内蔵助は受け取らず、皆へ分けてくれました。藩の諸道具を売り払い、その金子百三、四十両で私どもを始めとして同志のものどもを養っていました。若く生活ができない者たちは、早く討ち入りしたいと申していましたが、様子もわからないなどと言って、留めていました。たいへんな心遣いでした。(『「忠臣蔵」の決算書』終章より)
藩士たちが絶望と怒りでカッとなって、主君の仇打ちをと後先考えずに吉良邸を襲った場合の、悲惨な結果を回避しようとした内蔵助の深謀遠慮も、「金銀請払帳」(「預置候金銀請払帳」)に記されていたわけです。そしてあらためていうまでもなく、映画やお芝居で有名な、討ち入りが悟られないために内蔵助が京都で遊興する費用も、当然のことながら藩の資金から出したのではなく、内蔵助自らのカネを使ったものでした。なお、この「金銀請払帳」は、討ち入り直前に藩主の奥方であった瑶泉院に届けられ、それが今日まで残っているわけです。この事実にも感動します。
また討ち入りに際しては、浪士たちの家賃をはじめ付け買いによる未払い金も、乏しくなった残金の中から支払ったという。身辺を身ぎれいにした上で討ち入りを決行したいという、内蔵助の思いが最後の最後まで貫徹されています。
以上、本書の概略を重要ポイントを抑えながらご紹介しましたが、本書では、赤穂藩お取り潰しに伴う藩財産の売却から討ち入りまでの金銭の出入り、収支を記録した「預置候金銀請払帳(あずかりおきそうろう きんぎんうけはらいちょう)」(以下、「金銀請払帳」)を基に、藩士たちの残した書状や覚書など別の資料とも突き合わせながら、討ち入りに至るまでの赤穂浪士たちの暮らしぶりや心情が詳細に浮上させられています。
『金銀請払帳』は単なる会計帳簿ではなく、赤穂藩旧臣の討ち入りに至る行動を克明に伝えるとともに、彼らの心情までを語りかけてくれる超一級資料なのである。
と著者の山本博文氏が語る、この超1級資料たる「金銀請払帳」は現存する資料であり、専門家の間でも当然知られてはいたものの、なぜか、ほとんど誰も目を向けなかったという。なぜ無視されてきたのか。
2.「忠臣蔵」はなぜ消されたのか
実は2008年、忠臣蔵に新たな光を当てることになった山本氏の「金銀請払帳」解読をテーマした、4回連続番組がNHKの教育テレビで放映されたという。わたしはテレビはないのでNHKテレビでの放映は本書で初めて知ったのですが、教育テレビという視聴者が少ない番組とはいえ、4回連続となるとかなり内容の濃くて深い番組だったと思われます。となれば専門家はもとより、一般視聴者にもそれなりに知られていたはずです。
山本氏はこのNHKテレビ番組放映の頃から、「金銀請払帳」を基にした本の出版を構想していたという。そしてついに2012年11月に出版。しかし冒頭に書きましたように、今日現在まで本書はほとんど話題にはなっていません。ほとんどと書いたのは、わたしが目にする書評掲載メディアはごく限られているからですが、本書がもし正当に評価されて書評などで紹介されていたならば、見聞の狭いわたしの目にも触れていたはずです。それが全くないということは、書評などでの紹介は皆無に近いのではないか。
唯一目にしたのは、12月に入ってから新潮社だったか、映画を制作した松竹だったかが出した、本書を基にした映画の広告でした。映画の紹介が全面に出ていましたので、新潮の広告だったのか、松竹の広告だったのか記憶が曖昧ですが、帯に「映画化決定!2019年冬公開予定」とはあるものの、この広告が出るまでは、本書を基にした映画が、実際に12月に上映されることになったことも全く知りませんでした。本書の書評はもとより、映画の紹介すら皆無だったわけです。これは余りにも不自然すぎませんか。
その原因をつらつら考えてみると、NHKラジオで聞いた加来耕三氏の話に突き当たりました。加来氏はNHKラジオの「すっぴん」という番組の歴史分野のレギュラー出演者でした。最近は全く聞いていないので今も出ておられるのかどうかは不明ですが、加来氏は日本の歴史を貶める傾向のある話を披露されていました。
その傾向が顕著に分かるのが、聖徳太子貶め(おとしめ)論です。加来氏の著書は読んだことがないので、NHKラジオで聞いたものですが、加来氏は、聖徳太子が制定したと「日本書紀」に記されている十七条憲法などは、当時権勢を誇っていた蘇我氏が作ったもので、蘇我氏は渡来系の豪族なので、十七条憲法も朝鮮渡来だと述べ立てていました。日本人にこんな憲法が作れるはずはないとまで断定していました。どうやらこの日本人貶め思想が朝鮮渡来説の源泉らしい。
しかし、蘇我氏が朝鮮半島からの渡来人だとする証拠は皆無。それよりも何よりも、朝鮮半島の王朝にはいかなる王朝であれ、いかなる憲法も作られていませんし、法律に類するものは一つとして作られていません。朝鮮半島で法律らしきものが作られたのは、日本統治以降です。おそらく朝鮮半島の王朝は、組織的に運営されていたのではなく、いわば部族社会のような、王そのものが法であるかのように独裁的に君臨していたのではないか。もしも朝鮮半島の王朝でも法によって統治されていたのであれば、法の名前や成立年や王の名前なども教えていただきたい。謝罪して訂正させていただきますが、今現在もそうした文物は皆無ですので、わたしの素人推測は間違っていないはず。
参考までに、十七条憲法の原文・現代語訳・英訳を紹介されているサイトにリンクを貼っておきます。
ただ本稿では、忠臣蔵がテーマですので加来氏は、聖徳太子の功績を証拠もなしに否定していることをご紹介するにとどめておきます。そこで忠臣蔵ですが、加来氏は聖徳太子貶め論を披露してから後の出演時には、忠臣蔵を取り上げました。当然ながら、忠臣蔵でも全否定の貶め論での披露。加来氏いわく、忠臣蔵の話は証拠もないんですよと語り、あんな古臭い、時代錯誤な話は現代では通じるはずはないとも語っていました。
しかし加来氏のNHK出演は、『「忠臣蔵」の決算書』出版後のことです。加来氏がいつからNHKラジオにレギュラー出演するようになったのかまでは記憶にありませんし、調べようもありませんが、「すっぴん」という番組が始まって以降のことであることは明白ですし、「すっぴん」はNHK会長が民間出身者になって以降のことであることもはっきりしています。
本書に関係する時期のNHKの歴代会長を見ると、以下の通りです。時期的には18代以降でいいのですが、4代NHK出身者(緑色)が続いた後の民間出身者であることを確認するために15代から抜き出しました。
15代:島桂次(1989年~1991年) NHK
16代:川口幹夫(1991年~1997年)NHK
17代:海老沢勝二(1997年~2005年)NHK
18代:橋本元一(2005年~2008年) NHK
19代:福地茂雄(2008年~2011年)アサヒビール
20代:松本正之(2011年~2014年)JR東海
21代:籾井勝人(2014年~2017年)日本ユニシス
22代:上田良一(2017年~ )三菱商事
そういえば、何が理由だったか忘れましたが、海老沢会長への猛パッシング報道があり、辞任。後任の橋本会長も何かの理由で批判を浴びて任期途中で辞任したことをかすかに覚えていますが、山本氏の「金銀請払帳」解読をテーマとした番組が企画されたのはNHK出身者である橋本会長時代だったのか、福地会長時代だったのかは不明ですが、日本貶め論者がレギュラー出演者になったのは、あえて名前は書きませんが、何代目かの民間出身の会長時代であったのは明らかです。
つまり、実際には知らなかったはずはないとは思うものの、加来氏が仮に山本氏も出演した2008年放映のNHK教育テレビの4回連続の番組を知らなかったとしても、2012年に出版された本書を知らないはずはありません。
にもかかわらず、忠臣蔵の話には証拠はないと否定したのは、忠臣蔵にまつわる資料類を故意に無視して、日本人の心性に深く根差していた忠臣蔵を排斥しようとしたことは明らかです。古臭いとか時代に合わないという否定はさまざまある評価の一つですので、別途反論しますが、まず加来氏は歴史専門の作家だとして仕事をしながら、歴史的事実を平然と無視する人物であることを指摘しておきます。民営化が急激に進む中で、NHKはこんな人物を重用するに至ったことも確認しておきたい。
そしてついにNHKラジオでは、現上田会長になってからは、伝統的に続いてきた年末から年始にかけての「ゆく年くる年」まで廃止するに至りました。上田会長は月曜日から金曜日まで日本各地からご当地の様子を直接ご当地から発する番組「旅ラジ」を廃し、毎朝地方局から直接送るご当地情報番組を廃止したことは何度か取り上げましたが、究極の日本的風習を伝える番組の排斥が、ラジオでの「ゆく年くる年」の廃止です。
テレビでの放送は続いているそうですが、例年、そのテレビと同じ音声でラジオでも放送されていましたので、予算削減による廃止ではなく、日本人的心性を育んできた日本的風習を排斥することが隠された目的であることは明白です。今はまだテレビでは放送されているらしいとはいえ、「ゆく年くる年」の廃止は、日本人にとっては祖先代々受け継いできた伝統的文化が排斥されることにほかなりません。
同時に、外国人が激増している現在、神仏に祈りを捧げながらゆく年を送り、新しい年を迎えるという、他に例のない日本人特有の非常に柔らかい信仰の形を彼らに直接見てもらえる、またとない機会を潰すことにほかなりません。外国の方々にもそれぞれの信仰がありますので、日本の神仏にもお参りしてくださいとまでは言いませんが、厳しい規制や戒律などには縛られない日本的信仰の姿を外国の方々にも見ていただく、知っていただくのは非常に価値あるものではないかと思います。
日本には文字どおりの八百万(やおよろず)の神々が日本各地の神社に祀られており、中国から伝わったインド発祥の仏教寺院も日本各地にありますが、日本人は神社仏閣いずれにもお参りし、それぞれに祈りを捧げます。とはいえ頻繁に神社仏閣にお参りする日本人は少数だと思います。冠婚葬祭やお祭りなどの特別の場合に限られますが、年末年始には多くの日本人が初詣で神社仏閣にお参りします。
世界では宗教対立による、あるいは宗教対立を口実にした紛争が絶えませんが、そうした中、宗教対立など起こりえない日本的信仰の形を、外国の方々に知っていただくだけでも意義があり、何らかの示唆となりうるのではないかと思います。こうした番組は全国ネットを有する公共放送であるNHKにしか作ることはできません。しかし上田会長は、テレビでは続いているらしいとはいえ、延々と続いてきたその貴重な番組をまずラジオから消滅させてしまいました。
なお、以前「旅ラジ」の時間に竹内陶子アナによる12時30分から16時55分まで続く「午後ラジ」に浸食されたと書きましたが、「午後ラジ」は15時55分まででした。この点につきましては訂正しておきますが、16時から1時間はロックとポップスで埋められています。この番組だけではなく、NHKラジオは若者向けのロックやポップや歌番組とお笑い番組に席捲されています。
28日の夜、年末特集番組で「ニュースで読み解く2019」が放送されていました。一部しか聞いてなかったのですが、偶々聞いたのが日韓関係。安倍批判だけではなく、日本は韓国に対しては韓国人が納得するまで永遠に謝りつづけるべきだ、それが国際常識だと出演者4人が大合唱。その4人とは御厨貢東大教授、吉見俊也東大教授、荻原愽子氏(経済評論家)、元外務官僚の田中均日本総研理事長。NHKでも、ここまでひどい親韓合唱は初めて聞きました。
NHKの番組批判は、それだけで長大なブログになりますので、今回は加来氏起用の時期を特定することと、その背後にNHKの民営化が悪用されていること、そしてその悪用が日本人的精神を破壊しようという意図に沿って進められていることを指摘するにとどめます。この際、上田氏をはじめ、民間出身者の会長がそうした意図についてまで認識していたかどうかについての斟酌は全く無用。
以上の検証で、「忠臣蔵」は事実ではないという加来氏の指摘こそ事実ではないということと、「忠臣蔵」を抹殺する動きが、まず、民営化が進むNHKで始まったということを確認いたしました。では次に、加来氏がけなすように「忠臣蔵」は古臭くて、一顧だにする価値のない時代に合わない話なのかどうかについて考えてみたい。
3.「忠臣蔵」を支えた公正さ
『「忠臣蔵」の決算書』は、江戸中期の元禄15年(1702年)に起こった「忠臣蔵」の関連資料を基に、日本では江戸時代中期においてすでに、現在の企業会計に優るとも劣らない厳正な会計制度が導入され、運用されていたことを明らかにしています。そして公金を厳正に処理する思想と制度は、権力を有する者は相応の責任を負うべきであるというノブリス・オブリージュの道徳律とも表裏一体の関係にあることも、内蔵助がその身をもって示してくれていることも確認いたしました。
公金が政治家や官僚の私利私欲のために平然と消費される現代の日本においては、「忠臣蔵」を支えた公金に対する厳正さは、何にも勝る厳しい批判になりうるものです。また、内蔵助が体現した権力を持つ者、高い身分にある者にとっては必須であるはずのノブリス・オブリージュは、道徳心が欠落してしまっている現在の政治家や企業家や官僚たちを、痛撃せずにはおかない批判の石礫になるはずです。
300年以上も前のご先祖たちに顔向けできないほどに腐敗、堕落していることを少しでも自覚するならば、道徳心が完全に欠落している政治家や企業のトップや官僚たちも、いくらかなりともわが身を恥じるのではないか。少なくともわが身を省みる機会にはなるはずです。
ところで、「忠臣蔵」を貫く忠義とは臣下が君主に真心をもって仕えるという意味で使われてきましたので、滅私奉公的な犠牲を強いる上下関係を意味する言葉だと思われています。しかし忠も義も原義は真心、正しいことなど、人としてあるべき基本を指し示す言葉です。ただ、臣下と君主の関係を示す一般的な意味で解釈したとしても、君主が正義を旨とする政治を行っているならば、その君主に忠実な臣下も自ずから正義を行うことになるわけです。
もちろん例外もあれば逆の場合もあるはずですが、赤穂藩に限って見れば、筆頭家老であった内蔵助の行動からは、藩主自らも義の実践者であったことが窺われます。もしも藩主が藩政を顧みることなく酒池肉林におぼれたり、勝手放題をしていたならば、いくら忠義を旨とする主従関係にあるとはいえ、「金銀請払帳」に克明に記されたような公正の極地にあるような正義が実行されるはずはありません。
また「金銀請払帳」に記されたような正義は、もうこの世の最後だからといって、突然思い立ってもできるものではありません。藩の会計管理が日頃からきちんと行われていたことの反映でもあるはずです。つまり忠義は単なる理念として存在するものではなく、この理念の実践を可能ならしめる制度と、その制度を実のあるものにするための仕組みと表裏一体のもとして初めて有効な理念たりうるということです。
「金銀請払帳」は現代を生きる我々に、理念は理念だけでは理念たりえないという真理を突きつけているわけです。そしてこの教訓を真っ先に実践すべきは大人たちです。というのは、今の日本で道徳教育が真に必要なのは子供よりも大人、しかも指導的地位にある政治家や官僚や企業のトップたちだからです。
本書が浮上させた赤穂四十七士が身を以て示した「忠義」は、今現在の日本を痛撃する威力に満ち満ちていることには誰も異論はないはず。にもかかわらず、本書および本書を基にした映画「決算!忠臣蔵」が全くマスコミに登場しません。
すでに述べたとおり、日本人的な心性の破壊工作があらゆる分野で進んでいるからです。加来氏以外にも、四十七士は終活のために討ち入りを決行したと、露骨に「忠臣蔵」を事実に反した論法でけなしているのを「東洋経済」オンラインで目にしました。(山岸良二著「忠臣蔵」の美談は、ほとんど大ウソだった! 赤穂義士、仇討ちは「就活」が目的?2016年12月14日)憶測だけで書かれたお粗末すぎる文章ですが、怖ろしいことには、この著者は大学や高校でも教えているという。
こんないかさまめいたものも「東洋経済」は載せるらしいですが、今年の12月1日の「東洋経済」オンラインには、映画「決算!忠臣蔵」をめぐって、原作者山本教授へのインタビュー記事が出ています。「決算!忠臣蔵」原作者が語る浪士の経済事情 討ち入りは思った以上に費用がかかっている
おそらく加来氏や山岸氏以外にも同様の意識的、無意識な工作員は他にもいるはずですが、書き手個人を批判するだけでは全く意味がありません。マスコミにも影響力を行使し、日本的なものの破壊を企む背後霊をあぶりださなければ、同様の工作はますます進行するばかりだと思います。
つい先ほども、北海道のお寺で除夜の鐘がうるさいので打つなとの抗議の電話が30回もかかってきたので、やむなく除夜の鐘の中止を決めたとのニュースがネットに出ていました。不可解なことには、抗議の電話の主は匿名でどこの誰か不明だという。最近はあちこちで似たようなことが発生していますが、どこの誰か正体を隠したままの嫌がらせなのでしょう。お寺もすぐには中止せずに、姿を現して申し入れをしてくるまで待った方がいいのではないかと思いますが、トラブルを恐れているのかもしれません。NHKラジオでの「ゆく年くる年」の廃止と同じ動きの一つだと思われます。このままでは日本的な風習も日本人の望まぬ形で消されてゆく可能性は非常に高いと思います。
『「忠臣蔵」の決算書』に関してもう一点付け加えますと、江戸時代中期においてすでに日本では、非常に高度で複雑ともいえる貨幣経済が成立していたという驚くべき事実も本書は明らかにしてくれています。借りたお金で事業(塩田)をして利益が出た場合は、利息も付けていたことも記録にあるという。初期段階とはいえ、これは立派な資本主義経済だといえるのではないか。
忠臣蔵からは離れますが、江戸時代には米の売買では先物取引が行われていたことはよく知られていますが、出版業界でも本を売るだけではなく、版木(今でいうなら、原稿を即印刷可能な状態に加工した版下類)の売買までしていたという。しかも版木を複数人で所有することも認め、版木の所有割合に応じて本の売り上げを支払う仕組みまで作っていたという。倒産したり、閉鎖した版木=出版物を市場に流通させようという工夫によるものではないかと思いますが、市場を少数者で独占するのではなく、資金の乏しい者でも出版事業に参入できるようにした非常に民主的な制度が江戸時代にあったという。これは株式に似たた制度ではないかと思いますが、こうした制度は版元たちが今でいう組合を作り、市場活性化策をさまざまに工夫しながら生み出したものでした。海賊版出版の監視や対策もも組合で行っていたという。
現在は版下の売買など誰も考えもしないはずですが、日本の江戸時代、というよりももっとさかのぼって日本の歴史を経済の視点で読み解いていくならば、資本主義経済の発展過程も解明できるのではないか。その結果得た知見は、混迷する現代の経済問題を考える際にも多大なヒントを提供してくれるはずです。
4.韓国の富豪たち
韓国経済は一握りの財閥に握られていることは世界周知の事実ですが、当然ながら韓国の富も一握りの富豪たちに握られています。財閥企業のトップの報酬は欧米並み。年報30億円の例もありますが、韓国一の財閥サムスンのトップは10億円ぐらい。しかしサムスンのグループ企業が20数社あり、それらのトップも一族が握っていますので、サムスン一族が手にする報酬は莫大なものになることはいうまでもありません。
日本でも戦後GHQに財閥が解体されるまでの明治期から戦前までは大富豪の財閥一族が存在していました。しかし日本の大富豪たちは、酒池肉林におぼれ、贅沢三昧の果てにあたら資産を蕩尽しつくしてしまうという例はきわめて稀で、ほとんどといっていいほど、私財を投じて何らかの社会貢献事業も行ってきました。
学校や美術館や図書館などの公共施設が、富豪たちの私財を投じて各地で次々と建てられています。また富豪たちは、私的な趣味として国内外の美術工芸品を購入し鑑賞するとともに、大事に修理保管してきたものを後に各地の美術館や博物館などに寄贈しています。福岡市だけでも個人収蔵品の寄贈は数えきれないほどありますが、わたしが目にしたものはいずれも超優品ばかり。
日本の富豪たちには美術工芸品に対する目利き、高い鑑賞眼をもった方が非常に多いことに驚かされています。寄贈せずに、子孫や承継者が自らが美術館を開き、われわれに収蔵品鑑賞の機会を提供されているケースもかなりあります。美術工芸品の保管や修理や展示にはかなりの資金を要しますが、売らずに美術品として受け継いでいこうという思いの表れだと思われます。
因みに福岡県久留米市に拠点のあるブリヂストンタイヤでは、久留米市美術館や久留米大学や、東京にある現代美術館なども寄贈。久留米市の小中学校にプールまで寄贈したという。現在も社会貢献事業を推進中だという。
こういう事例はここには書ききれないほどあるはずですが、戦後にスタートした比較的新しい企業創業者の中からも美術館などを建設したりと、本業とは離れた分野での社会貢献事業に尽力している方々(企業)もおられます。つい最近では、何かと話題を振りまく、ZOZO創業者の前澤氏が、甚大な台風被害を受けた氏の故郷だという千葉に20数億円寄付されたというニュースも目にしました。
個人の匿名寄付ではタイガーマスクの名前で恵めれない子供たちにランドセルなどが各施設に届けられ、話題になりました。かつて日本には、大石内蔵助だけではなく、ノブレス・オブリージュがごく当然のこととして行われていたということです。現在も一部ではその精神が引き継がれているとはいうものの、非常に希薄になっていることは否めないと思います。財閥が解体されて大富豪がほとんどいなくなったことも影響しているかもしれませんが、それだけではないはずです。
では財閥が今も健在な韓国の富豪たちはどうでしょうか。彼らに、私財を投じて社会的事業に貢献したことがあるのかどうかを問うてみたい。というのも、韓国の国会議長がとりまとめたという徴用工に対する基金は全く納得できないからです。勝手に基金を作り、日本の企業や個人に寄付を募るなどいう図々しくも身勝手な発想がなぜ出てくるのか理解不能。
韓国人に多少なりとも常識が残っているならば、韓国企業に寄付を募って基金を作るはずですが、日本に求めて来るとは全く理解不能です。韓国の財閥はいずれも、日本の支援なしに自力で独力で事業を興し経営をつづけてきた企業は皆無です。韓国という国そのものも日本なしには今日まで存続することはできなかったわけですが、日本に寄付を求めるのであれば、自国の財閥に求めるべきではないか。
韓国の財閥トップは日本の大企業トップの数十倍の報酬を得てきたわけですし、この際、その富の一部を拠出し合って徴用工問題を解決するという社会貢献ぐらいすべきだと思いますが、韓国の富豪たちは富を独占する以外のことは考えていないのでしょうか。徴用工や慰安婦たちに請求権があるとの解釈は、日本に対してではなく、韓国政府に対するものですが、韓国の歴代政権がこの明白すぎる事実を認めないがゆえに、延々と問題が長引いているわけですよ。韓国政府には解決する意思は全くないわけですから、ここは財閥が資金を提供して解決を図るしか道は残されていませんよ。
さらにこの問題の背景には韓国の社会保障制度が余りにも貧弱だという事情があります。おそらくこれが最大の理由だと思います。韓国では現在年金をもらっている人は受給年齢に達した高齢者のうち51%余り、しかもその3分の2が3万~4万円しかもらえていないという。大半の高齢者が年金だけでは暮らせないという現実があり
ます。日本に住む在日韓国人の高齢者はほとんど年金をもらっているはずですし、その額も韓国本国の高齢者の4~7倍ぐらいはあるはずです。在日韓国人の高齢者の方ががはるかに恵まれているという現実を、韓国政府も韓国国民もしかと認識すべきではありませんか。
しかも韓国では、40代で会社をクビになる人も多い。韓国では高齢者のみならず若年層、壮年層全世代で、厳しい生活環境に置かれています。高齢者の自殺が世界的に見ても異常に高いのが韓国の特徴です。
その一方で、韓国の大統領は逮捕された朴槿恵前大統領だけではなく、歴代大統領は例外なく(民主化の闘士であった金大中氏ですら)、表では国民を反日活動に扇動しながら、陰で数十億円という世界一超高額な不正蓄財に励みます。社会貢献には全く無関心な財閥も、大統領など政治家に賄賂を渡すことは躊躇しません。
しかし韓国では政府に対して、社会保障をもっと充実させよとか、雇用創出策を打ち出せなどとの要求は余り出てきません。出て来るのは、日本への過剰不当な要求ばかり。韓国政府は国民の不満を日本に向けることで批判から免れているわけです。その陰で、韓国人を日本で就職させてくれと要求しつづけています。何という身勝手な国でしょうか。
先日も九州各県知事との会合で韓国の首長(釜山)たちは、韓国人の日本での就職を頼み込んでいましたが、日本の知事たちはお人好しにも快諾していました。韓国では、政府も地方政府も自国での雇用創出能力はゼロ。韓国の富を独占してきた財閥の責任も大きいとはいえ、歪(いびつ)さを解消できずにきた無能な政府は即刻倒すべきではありませんか。韓国には政府も企業にも「義」の一かけらもありません。向かうべき相手は日本ではなく、自国政府ですよ。韓国人よ、目覚めよ。
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なお、久々に「絣ラボ」を更新しました。沖縄の「首里織」です。トップページも少しリニューアルしました。是非、ご覧ください。
*九国博で開催中の三国志展 一見の価値あり、お薦めします。卑弥呼が朝貢した魏をはじめ蜀、呉三国の貴重な文物が多数展示されています。現在の独裁国家中国とは全く別の世界です。中国が好きではない方もどうぞ。