目次
「葦の葉ブログ2nd」より転載
竹田JOC会長退任騒動への疑問
本題に入る前に、五輪贈賄疑惑問題をめぐって竹田会長が退任することになりそうだとのニュースに一言。昨年12月、フランスの検察から事情聴取を受けたことから、東京五輪のイメージが悪くなるとのことで、任期延長までほぼ決まりかけていたにもかかわらず、突如退任論が再浮上。竹田氏の会長退任は不可避だとのことですが、事情聴取を受けただけで、竹田氏の有罪が決まったわけではありません。
もしもの場合を想定して、早目に危険性を回避しようということなのかもしれませんが、竹田氏有罪を想定しての予防措置ということになります。つまり東京五輪は、不正な手口で招致が実現したということになりますが、もしそうであるならば、仮に竹田氏を会長から追放しても、不正によって招致が実現したという事実は厳然と残ります。不正を働いた竹田氏は五輪にふさわしくないというのであれば、不正で実現した東京五輪も返上するのが筋ではありませんか。
是が非でも東京五輪を開催したいのであれば、不正疑惑に対しては、関係者が一丸となって徹底的に反論し、不正によって招致が実現したものではないということを、世界に向けて堂々と訴えるべきではありませんか。それをせずに、フランス検察の力を借りて、竹田会長に対して不正疑惑を言い立てて、竹田氏を五輪から追放しようとは、それでも日本人なのかと心底怒りを感じます。竹田氏を非難する連中は、東京五輪実現のために何か貢献したのですか。貢献したのであれば、国内外に披露しなさい。
そもそも、五輪開催はもとより、五輪招致活動にも莫大なお金がかかりすぎています。これまでも五輪開催に手を挙げた日本各地のいくつもの都市は、東京都も含めて、何度も巨額の招致予算(税金)を使ってきました。落選したら招致に投じた巨額の税金は全てパー。どこかに消えてしまっています。日本国内だけでも何度も繰り返されてきましたので、日本が五輪招致活動に投じた額は数百億円に上るのではないか。
落選した場合の賄賂は、露見せずに誰かの懐に入っているわけですが、今回の疑惑の対象になっている2億円が賄賂か否かは別にして、開催の前段階である招致活動そのものにも巨額の資金が必要になるという、カネのかかりすぎる五輪開催の仕組みそのものをまず問題にすべきではありませんか。今回の2億円が問題になるのであれば、落選した招致活動も含めて、招致活動で動いた資金の動きを全て調査すべきではありませんか。それでなければ、今後は、近隣国開催が続かないように世界をブロックに分けて抽選で決めるべきです。これ以上、クリーンな決め方はありませんよ。
今回の竹田会長追放画策劇は、日本人はここまで浅ましくなったのかとつくづくと思わせられる事件です。様々な難問もクリアしつつ五輪開催間近に迫った今、真偽不確かな問題をネタに、全ての泥を竹田氏になすり付けて会長を追放し、日本オリンピック委員会と東京五輪を牛耳ろうとの、余りにも虫のいい、余りにも浅ましすぎる魂胆丸出しです。後釜候補に複数の若手の名前が挙がっていますが、彼らはおそらくお飾りでしょう。お飾りにしても非常に栄誉あふれる役職に、大した問題の残されていない時期に後釜に就任するのは、労せずして大きな功績を手にすることが約束された特等席です。あなた方は、それほどまでに浅ましいのですか。それがスポーツマンシップだといえるのですか。
東京五輪を成功させたいのであれば、仮にフランス検察が竹田会長にさらなる疑惑を押しつけるのであれば、日本オリンピック委員会と選手並びに主催者である東京都及び日本国民は、東京五輪を返上するとの宣言をIOCと全世界に向けて堂々と発出すべきです。そんな覚悟もないのであれば、日本の五輪関係者は全員、五輪から一切手を引きなさいと強く抗議いたします。
一言のつもりが、怒りの余りついつい長くなってしまいましたが、本題に入ります。
3.11、東日本大震災から8年が過ぎました。わたしは発災当時から、この大震災はほんとうに天然自然のものなのかという大きな疑問を感じておりましたが、当時集めた資料の中に、わたしのこの大疑問に直接答えてくれるデータがいくつも含まれています。今回はこれらのデータをご紹介することにいたします。これらの資料は、度重なる引っ越しで行方不明になっていましたが、ひょっこりと出てきましたので数年ぶりに目を通したところ、収集していた当時以上にその内容に衝撃を受けています。
東日本大震災は、地震そのものと地震が原因とされている福島第一原発での連続爆発事故という2種の複合災害。まさに空前絶後の未曾有の巨大災害でしたが、これからご覧いただく資料は、事故発生当時の被災現場で各種専門機関によって収集されたもので、当時の被災地の状況を直接記録した生のデータ、いわば一次資料です。政府事故調も国会事故調も、被災現場で発災直後に収集されたこれらの一次資料は全く収集していませんし、参照すらしていません。
3.11の大災害は、民主党の菅政権下、国会中継中に発生しました。資料をご覧いただく前に、大災害発生の状況を、時系列にそって簡単にまとめてみました。
2011年
3/11
14-46 地震発生
緊急事態発生時には、即座に官邸対策本部を設置し、緊急時対応設備の整った官邸地下にある危機管理センターにおいて対策に当たることが法律で義務づけられていますが、菅総理は法のルールは完全に無視して、各省庁ともダイレクトに繋がっている危機管理センターは一度も使用せず、総理執務室(定員10人ほど)に数人の民主党幹部と東電幹部を呼んで、緊急時とは思えない質問をあれこれと繰り返していました。細野豪志氏も枝野幸男氏と並んで、この数人のメンバーの一人で、菅総理の信頼が厚かったのか、重要な役目を担っていました。
15:27 津波襲来
15:42 東電より政府に対して、全電源喪失を通告
16:36 東電より政府に対して、冷却能力喪失による緊急事態発生の通告
19:03 政府による緊急事態宣言
原子力災害法には、緊急事態発生の報告を受けると、政府は即座に緊急事態宣言を発出することが定められていますが、菅総理による不可解きわまりない、妨害行為としか思えぬ行動により宣言発出が大幅に遅れました。この政府による宣言が出なければ、福島第一原発での原発事故対応や、被災現場での避難指示等の対応はできない法の仕組みになっていますので、この遅れは犯罪的だとも言えるのではないか。
3/12
15:36 1号機、水素爆発
3/14
11:01 3号機、水素爆発
3/15
5:30 菅総理、東電本店に乗り込み、糾弾演説を開始。福島第一原発も全員、テレビ会議で菅総理の糾弾演説 を視聴。
6:10 4号機爆発。2号機からも爆音が発生したが、爆発には至らず。
上記の時系列による経緯は、福島第一原発の原子炉爆発に焦点を当てていますが、3.11大災害の真相に迫る第一のカギは、福島原発事故の中に隠されているからです。その理由は、以下の資料をご覧いただくとお分かりいただけると思います。
全ての数字を地図上の数字と照合したわけではありませんが、一部照合したところ一致していましたので、上記の計測結果をまとめたものが下表だと思います。
福島県原子力センター・モニタリングポスト大野局(№7)データ
この表は、全ての数字を地図上の数字と照合したわけではありませんが、一部照合したところ一致していましたので、上記の地図上の現地計測結果をまとめたものだと思います。
2011/3/12~3/16
福島県大熊町モニタリングポスト大野局 空間線量率(1時間値)の推移
理化学研究所の合同チームによる調査結果―
測定をしながら磐越自動車道を郡山市からいわき市方面に向かっていた3月15日15時ごろ,郡山東インターチェンジで気体放射性核種「キセノン133」を含む放射性プルーム(放射性物質を含む空気塊)を観測しました(図1-1参照)。同時に線量が急上昇しました。つまり,放射性物質が飛散してきた瞬間を観測したことになります。さらに同じ3月15日,復路で郡山市から福島市にかけての線量上昇を観測(図1-2参照)。これにより,3月15日15時ごろから20時半ごろまでには放射性物質が郡山市から福島市にかけて到達していたことがわかりました。
3月15日夜,16日,17日の線量は,同じ場所で比較するとほぼ同じであることがわかりました(図2参照)。3月15日の福島県中通りの天候は雨。線量に変化がなかったのは,3月15日に福島県中通りに飛来・雨で沈着した放射性物質を翌日以降も測定していたためと考えられます。つまり,ほとんどの放射性物質の汚染は3月15日に起こったのです。
7種類もの放射性核種(テルル132,ヨウ素132,ヨウ素131,キセノン133,セシウム137,セシウム136,セシウム134)が検出されました。分析結果から事故直後の線量の主原因はテルル132とヨウ素132であることが判明しました。約3週間後の4月8日には短半減期のテルル132とヨウ素132はなくなり,線量の主原因が長半減期のセシウム137とセシウム134に変わっていました。図3に例として東北自動車道安達太良サービスエリアでの放射能の割合を示しました。
3月に線量の主原因であったテルル132とヨウ素132は,セシウム137,セシウム136,セシウム134と同じ分布をしていたことがわかりました(図4-1参照)。つまり,これらの放射性核種は同じ粒子にくっついて飛んできて,福島県中通りで雨と一緒に落ちたと考えられます。これにより,4月8日に得られた線量分布の形は,線量の主原因がセシウム137とセシウム134に変わったにもかかわらず3月調査時とそのまま同じになったのです(図4-2参照)。したがって,事故直後に線量が高かったところは現在でも線量が高いのです。また,この知見により,現在の線量から事故直後の線量を推定することもできると考えられます。
テルル132,ヨウ素132,セシウム137,セシウム136,セシウム134の分布は同じで,飛散挙動が同じであったことは④で述べました。では甲状腺がんの原因として重要なヨウ素131の分布はどのようなものだったのでしょうか?分析の結果,ヨウ素131の分布は他の放射性核種と異なることがわかりました(図5参照)。つまり,ヨウ素131の飛散挙動が他の放射性物質と異なっていたと考えられます。これは同時に線量とヨウ素131放射能の間に相関関係がないことを意味し,線量からヨウ素131の放射能を推定することができないことになります。被曝評価には重要な知見です。
図6に示された様に,線量は福島県中通りが高くなっています(④の図4-2も参照)。福島県浜通り,福島県会津地方,宮城県方面に向かうと線量が短距離の間で激減します。一方,南方向には広く放射性物質が分布していることがわかりました。阿武隈高地と奥羽山脈にはさまれた地形の影響が放射性物質の分布に強く反映しています。
③で説明した通り,既に線量の主原因は半減期の長いセシウム137とセシウム134となっています。したがって,短期間での線量減少は見込めないと予想されます。平成23年4月8日でのセシウム137とセシウム134の割合はおおよそ1:1であるので,放射性物質の移動による減少がないと仮定して単純に半減期での減衰だけを考慮すると,放射能は2年後に約4分の3,6年後に約2分の1,30年後に約4分の1に減少します。同じ放射能でもセシウム137よりもセシウム134の方が線量に対する寄与が大きいため,線量率の減少は放射能の減少よりもやや速くなります。線量率は3年後に約2分の1,9年後に約4分の1,30年後に約7分の1に減少すると見積もられます。さらに降雨等の影響により,わずかではありますがこれよりも速く減少すると考えられます。
本調査結果は論文として日本原子力学会和文論文誌に間もなく掲載されました。松村 宏,斎藤 究,石岡 純,上蓑義朋,「高速道路上のガンマ線測定により得られた福島第一原子力発電所から飛散した放射性物質の拡散状況」,日本原子力学会和文論文誌,第10巻,第3号,152-162ページ (2011)。内容は専門的ですが調査結果が詳しく書かれています。さらに詳しく知りたい人は論文をご覧下さい。論文誌へのリンクはこちら。(注・このリンクは、わたし=久本がこの資料を印刷した時点ですでにリンクが切れており、論文を見ることはできませんでした。)
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*CTBT高崎観測所は、全ての核実験を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)に基づき、核実験監視のために世界数カ所に設置された観測所の一つ。
大量の放射線が放出されたのは3/15
以上、膨大な資料の中から主だったものをピックアップして紹介しております。当初の予定では、ピックアップした資料を一気にご紹介する予定でしたが、画像を大量に掲載するのは初めてのことでもあり、容量オーバーで全部サイズ直しをしたりと、かなり時間がかかり、疲れ果てました。今回のテーマは2回に分けることにします。数日後に続編をアップします。
詳しい解説は次回回しとしますが、ご覧いただくとお分かりのように、3月12日に発生した福島第一原発の1号機の爆発でも、14日に発生した爆発でも、原発周辺地域には放射能飛散はなかったという驚愕の事実を資料が証明しています。周辺地域に大量の放射能が飛散したのは、原発が停止し、燃料棒が全て取り出されて原子炉の中は空っぽの4号機が、3月15日の早朝6時過ぎに爆発した後であったことが、数多くの一次資料、生の資料で明らかになりました。
最高の観測精度を有している高崎観測所も、同様の観測結果を記録していますが、表の下段に記された注には、ほとんど放射線の数値が出ていない3月12日から14日にかけての観測結果は「信頼できる測定値ではない」とまで書かれています。これらの注は、12日、14日には福島第一原発で水素爆発が発生しているにもかかわらず、放射線がほとんど検測できないということはありえぬことであり、観測に何らかの不備があったに違いないという人間の思い込みによって書かれたものだと思いますが、機械の方が正しかったことは、事故直後、現地で直接観測された様々なデータが証明しています。
では原発で連続して発生した爆発は何であったのか。この疑問への回答は簡単ではありません。地震をめぐる一次資料の紹介と合わせて次回に考察することといたします。
上記画像や表資料を見る際の参考資料を、以下にご紹介します。
広島県医師会「知っておきたい放射線の正しい知識」日常生活と放射線 放射線の身体的影響
「全身被ばくをした場合、0.5シーベルト(注・500マイクロシーベルト)くらいから放射線感受性の高い造血細胞で影響があらわれ始め、白血球が減少します。1シーベルト以上の放射線を浴びると、一部の人に悪心、嘔吐、全身倦怠などの二日酔いに似た放射線宿酔という症状が現れます。更に強い線量を浴びた場合には、各種の血球減少症が起き、出血が増加すると共に免疫力が低下します。重症の場合は30~60日程度で死亡します。この様式の死は骨髄死といわれます。
皮膚は上皮基底細胞の感受性が高く、3シーベルト以上で脱毛や一時的紅斑がみられます。
消化管も放射線に対する感受性が高い臓器です。5シーベルト以上被ばくすると、小腸内の幹細胞が死滅し、機能細胞を補給することができません。そのため、腸上皮が消滅し、吸収力の低下に伴う下痢や、細菌感染が発生します。重症の場合は20日以内に死亡します。この様式は胃腸死といわれます。
数10シーベルト以上の非常に高い線量の被ばくでは、中枢神経に影響が現れ、意識障害、ショック症状を伴うようになります。高線量を被ばくした場合には、中枢神経への影響は他の臓器よりも早くみられ、ほとんどの被ばく者が5日以内に死亡します。(広島県医師会HP放射線の身体的影響より)」
1シーベルト(Sv)=1,000ミリシーベルト(mSv)=1,000,000マイクロシーベルト(μSv)
1ミリシーベルト(mSv)=1,000マイクロシーベルト(μSv)
中部大学教授・武田邦彦 空間の「マイクロシーベルト」から土壌の「ベクレル」への換算
最後に沖縄の辺野古基地問題について。わたしは、安倍総理との面会を求めた玉城知事は、辺野古工事中止を即座に求めるものとばかり思っていましたが、知事が求めたのは、日本政府と米軍と知事との3者会談の開催であったことを知って、さほど過激なことを求めていないことに少々驚いています。政府としては外交権や防衛権は県ではなく国にあり、知事の要求は越権行為だとの判断なのかもしれませんが、基地が存在する県民を無視した外交も防衛も意味はないはずです。3者会談の要請ぐらいは受け入れてもいいのではないですか。
辺野古の埋め立て地が軟弱であったことが判明し、工事期間も大幅に延び、費用もさらに膨張するという不測の事態にも直面していますので、これを機に3者で会談して別に良案が出てくるかもしれません。埋め立て地は諫早干拓地でも証明されているように、後に新たに軟弱化が発生するおそれもあり、巨額の税金を繰り返し投じる必要も出てきそうです。うんざりですね。
この際、憲法9条を改正して、辺野古も普天間も撤去して、日本人は自力で自国を防衛する覚悟をもつべきではないか。米軍基地問題と自力防衛とはコインの裏表の関係にあることを、全日本国民は真剣に考えるべきです。沖縄に基地を押しつけて、安穏と暮らすことは許されないはずです。なぜ沖縄に基地を押しつけるのか。