2018-11-23「葦の葉ブログ2nd」より転載
日産のゴーン会長逮捕というニュースに、日本中が衝撃を受けていますが、その衝撃の中身には二つあります。まずは、高額報酬と隠蔽工作。ゴーン氏の報酬はもともと高額でしたが、実はその2倍以上もの報酬を得ていたということ。しかもその実際の高額報酬を隠蔽するために、ゴーン氏自身が側近に指示して不正操作がなされていたということです。ゴーン氏が隠蔽せよと指示しなければ、いくら側近でも勝手に隠蔽するはずはないので、ゴーン氏の指示があったのは事実でしょう。その隠蔽工作は、複数の国を経由して租税回避地まで利用するという、脱税工作を兼ねた複雑なものでもあるらしい。
衝撃を与えた二つ目の理由は、ゴーン氏は、公私混同を公然かつ平然と行う経営者であったということです。この点についても、西川社長は記者会見で明らかにしていますが、その混同ぶりを具体的に知ると、衝撃はさらに強まります。会社の金を使って20億円もの豪邸を購入したのをはじめ、世界各地に高級住宅を購入し、無償で自宅として私的に利用していることや、4000万円という高額の家族旅行の費用まで出させているという。のみならず、読売新聞によれば、ゴーン氏が日産の社長に就任して間のない2002年から現在まで、ブラジルのリオデジャネイロに住むゴーン氏の姉に、アドバイザー料名目で年間10万ドル前後(1000万円前後)の報酬が支払われてきたという。
ゴーン氏の公私混同は、権力が増大化した結果生まれた慢心からくるものだとの見方もあるようですが、ゴーン体制下のごく初期から始まったこの公私混同の事実は、そうした見方を否定しているはずです。年間10万ドルというのは、私的流用総額からするならば微々たる額だともいえますが、この事実は、ゴーン氏はもともと公私混同に抵抗がなかったことを物語っているように思います。
創業社長ならありうるかもしれませんが、歴史を重ねた大企業で、トップが会社の私物化、公私混同をするとは、日本ではもとより、欧米でも珍しいのではないか。わたしは、高額報酬よりもまず、巨額の金をめぐる会社の私物化、公私混同に驚きました。欧米人でもこんなことをやるのかという驚きです。ゴーン氏が生粋の欧米人なのかといえば、その経歴からするならば生粋とはいえないかもしれませんが、グローバル化が昂進しすぎた昨今の欧米では、かつての欧米とは様相が変わってしまっていますので、生粋の西洋人という人種的概念そのものが成立しうる基盤も消滅していると見るべきかもしれません。
しかし企業にせよ、国家にせよ、権力者による公的財産の私物化、公私混同は破滅への第一歩です。近代法を生み出した西欧は、法律で公と私の関係を確定し、国家も企業も法治によって統治するという制度を確立することで、世界の優位に立ちました。独裁的な統治下では、あらゆる領域において独裁者の許容する範囲を出ることができず、その社会の成員の活動はごく限られたものにならざるをえません。社会が生み出した富も独裁者に一極集中します。こんな社会は、早晩破滅を迎えざるをえないのは明白です。現代においては、北朝鮮がその典型例の一つですが、北が破滅せずに存続しているのは、国連や中国をはじめ、ひそかに支援しつづけている勢力がいるからです。
ゴーン氏を北朝鮮と比較するのは余りにも失礼かとも思いますが、独裁的な統治は企業にとっても、公の私物化に直結するものであることを、ゴーン氏の事件が示しています。確かに、ゴーン氏は独裁的な権力を持っていたがゆえに、大胆な経営が可能であったというのも事実だと思います。最近では、不正データ問題で窮地に立たされていた三菱自動車を傘下に置くことを決断したのも、ゴーン氏以外ではありえなかっただろうと思います。日本人経営者ならば、危険物に手を出すはずはないからです。三菱にとっては、ゴーン氏は救世主に映ったのではないか。3社連合としても売上げ増に貢献することになり、初動段階では双方とも満足だったのではないかと思います。しかし3社連合の成否、真価が問われるのはこれからだろうと思われます。
ただ、その後に発覚した日産の検査データ偽装問題では、ゴーン氏は謝罪はおろか、一度も公の場に出ることすらせず、不祥事処理は全て日本人社長などの日本人幹部に丸投げで、知らん顔を通しました。公表された額だけでも非常に高額な報酬を得ているのに、トップとしての責任を果たそうとしない無責任さ。そこに加えて、公表された額の倍以上もの資金を不正に私的に流用していたことが発覚しまた。
怒りを覚えない日本人幹部はいないはずですし、社員たちも同様でしょう。ゴーン氏に忠誠を誓っていたらしい日本人幹部たちも、ゴーン氏追放を決意したとしても当然だったと思います。今回の事件の核心は、巨額な資金を、ひそかに私的に流用していたというゴーン氏による会社の私物化にあると思います。この事実が判明した時点で、日産全社の人々がゴーン氏の下では仕事はできない、したくないと考えるのは当然です。
因みにゴーン氏の直近(昨年度)の公表された報酬額は、日産:7億3500万円、三菱自動車:2億2700万円、ルノー:9億5000万円、合計19億1200万円。この3社からの報酬は、ひとえに日産トップとしての成功のたまものですので、ゴーン氏の報酬は、日産だけではなく、3社計で見るべきでしょう。ゴーン氏の報酬は、自動車メーカーに限ると、公表済み分だけでも、世界標準からしても高額の部類に入るはずですし、日本人社長の報酬に比べると、比較にならないほど高額です。
他業界も含めて、日本人社長は、世界的大企業の社長でも、外国人社長の10分の一から数十分の一ぐらいしか報酬をもらっていません。トヨタやヤフーなどでも、外国人の副社長や役員は社長の数倍以上もの報酬を得るという奇妙な報酬格差が生まれていますが、日本人の社長や役員の報酬の低さに由来する珍現象です。
日本人社長の低報酬は、どこかから強制されたものではなく、従業員の賃金も勘案して役員報酬も決めるという長年の慣行に基づいて決められてきたものですので、欧米のように、従業員の賃金と社長報酬とが100倍から数百倍もの差が開くという、極端な格差は生じません。しかも日本企業の社長さんたちは、世界的標準からすれば非常に低報酬であるにもかかわらず、そのことに対して強い不満を訴えるということもなかったようです。そんな事例は聞いたこともありません。つまり日本企業の日本人社長たちは、低報酬にさして不満をもっていないということです。
これはおそらく、世界的に見ても他に例のない、日本的な特性ではないかと思われます。共産党の独裁下にある中国では、国有企業や共産党幹部が最優遇されますので、単純な比較はできませんので、韓国をみると、サムスンや現代などの韓国最大の企業の社長は、日本企業の社長報酬の2倍から10倍ぐらい得ています。
しかも韓国の大企業はオーナー一族による経営が主流で、社長以外にも親族が何人も役員に就いて高額報酬を得ていますので、一族全体で得ている報酬の額はさらに巨額なものになります。透明性が要求される近代的な企業経営からは、かなりずれている印象がします。当然、会社の資金の私的流用も容易に起こりうる環境にありますので、韓国企業の社長報酬の実質額は、公表されたもの以上の場合も少なくはないはずです。
日本では、大企業が業績の実態を隠すために決算書を改竄するという事件が時々発生しますが、世界的な大企業の社長が会社の資金を私的に流用したという話は聞いたことはありません。それだけに、ゴーン氏の逸脱は今なお信じがたいものがあります。予告通り、日産の取締役会はゴーン氏の会長解任を決めましたが、その存在自体が強力な広告塔の役目も果たしていた、カリスマ経営者不在の中での再出発は容易なものではないはずです。
19年前、経営に行き詰まった日産は、ルノーから7000億円近い出資を受けるとともに、社長に就任した、ルノー幹部であった敏腕経営者ゴーン氏によって驚異のV字回復を果たし、今では親会社ルノーをはるかに凌駕するほどの業績を上げるに至っています。その結果、大株主であるルノーは、現在の日産にとっては収益を吸い上げるだけの重荷になってしまっており、それが日産側にとっては大きな不満になっていたという。今回の事件は、そうした不満も背景にあり、ルノーとの関係に揺さぶりをかけることを狙ったものだとのとの指摘も多々見受けられます。
しかし資本主義のルールでは、資本を提供してくれた株主に対して、相応に利益を還元するのは企業としては最低限の義務でもあるわけです。ゴーン氏の手腕によって劇的に業績が改善したので、ルノーに対しても巨額の利益還元がなされるに至ったわけですが、経営が失敗していたならば、ルノーは利益還元どころか、出資金そのものも失う可能性もあったわけです。
当時の日産にとっては、ルノーからの資金提供、社長派遣がなければ、倒産していた可能性も非常に高かったわけです。ルノー以外には、当時の日産に救いの手を延べようとする企業や投資家はいなかったはず。それを思うと、収益が上がり、その一部が大恩人であるルノーに流れこむことには、感謝とともに、むしろ喜びを感じてもいいのではないでしょうか。恩を仇で返すというのは、日本人的メンタリティにはそぐわないと思います。
ただ株主がたまたま同業他社であったということで、直接の利益還元以外でも、技術の無償移転などもあったかもしれず、それも不公平感を増殖しているのかもしれません。フランスは移民の急増で、それまで維持してきた工業分野での優位性を支える社会的基盤が弱体化し、特に競争が激化している自動車分野での優位性も維持できなくなっているのかもしれませんが、株主であり、かつては倒産寸前のところを救ってくれたという恩義からしても、日産がルノーの立て直しに協力するのは当然のことではないかと思います。
マクロン大統領も、移民容認という安易な政策を垂れ流すのではなく、移民を受け入れる能力は今のフランスにはなくなっているという現実を直視し、フランスがフランスとして単独で自立しうる方策をこそ考えるべきではないかと思います。フランスに限らず、移民が一気に急増したEUでは、移民対策に政策資源の大半をつぎこまざるをえず、自国民全体の生活向上やあらゆる領域における環境改善にまでは政策の手が伸びなくなっているのではないかと思います。それが、ドイツ以外のEUの停滞をもたらしているように思われます。もちろん、日産とルノーとの提携だけで、フランスが陥っている停滞を突破できるとは思われませんが、わずかでも事態の改善に寄与できるならば、日産にとっても、ルノーにとっても、そして日仏両国民にとっても喜ばしいことだと思います。
ただゴーン氏の会長解任は、ゴーン氏に猛省を促す意味でも適正な判断であり、検察の捜査も公正、公平に行われるべきだと思います。この捜査に疑義を呈している元検事の郷原信郎弁護士の指摘(日産幹部と検察との司法取引に“重大な疑念” ~有報関与の取締役はゴーン氏解任決議に加われるか 役員報酬の隠蔽は、ゴーン氏主導か、会社主導か)には、素人ながら一理あると思われる点もありますので、マスコミの扇動報道に惑わされずに、冷静に判断する必要があるはずです。
この事件で不可解に思われるのは、安倍政権ないしは経産省の姿勢です。日産幹部と検察の動きからしても、完全に政権抜きに行われたとは考えにくい。直接安倍政権から出た発言なのかどうかは不明ですが、ゴーン氏が日産とルノーの合併を画策していることを知った政権が、日産をフランスに取られるのを恐れてゴーン氏逮捕に踏み切ったという噂が流れています。日産は、日本人社長だけでは再建できなかったことは明白すぎる事実です。日本政府としては、日産がルノーの資金とルノーのゴーン氏によって再建されたという事実をまずしっかりと認識すべきです。ゴーン氏は日産の優良資産を次々売って経営を立て直したとの指摘もありますが、そうした判断も含めて日本人社長には取捨選択もできなかったわけです。
経営危機に陥っていたシャープも台湾の鴻海(ホンハイ)によって、劇的なV字回復を果たしましたが、一般マスコミはシャープの危機については派手派手しく報道しましたが、V字回復を果たしたことは、NHKも一般マスコミもほとんど報道しません。ゴーン氏は今回の事件が発覚するまでは、あらゆるマスコミでその経営手腕は華々しく報道されてきましたが、台湾のホンハイ社長の経営手腕については、ほとんど報道もされないという不可解な差別報道規制がなされています。
そうした日本のマスコミ規制の中で今回のゴーン報道もみるべきだと思いますが、外国企業によって、あるいは外国人経営者によって日本企業の業績が改善されたのであれば、日本政府も日本国民も素直に喜び、彼らに感謝すべきだと思われますが、発揮すべきでないところで、変な狭小ナショナリズムが顔を出し、受けた恩には恩で報いる、感謝するという、かつての日本人にはごく普通に備わっていた、人としての基本的な礼儀すらわきまえない無礼さが丸出しになっています。
しかしグローバル化が進展する中で、世界的レベルでその能力が試されるのはスポーツ選手だけではなく、企業経営者も含めた日本人そのもの、日本人全体です。もちろん、外国人経営者は高額報酬を得ていても、必ずしもその額に見合うだけの仕事をしているとは限らず、それどころか、全く無能な人物もいるわけですので、高額報酬を払ってまで外国人経営者を招く必要はないとは思うものの、和をもって貴しとなすとする、古来から続く日本的美徳を体現したような、低報酬にもかかわらず、世界的業績を上げうる日本人経営者はそうそうあちこちにはいないはずです。
もしも安倍政権がルノーを蹴散らすために、今回の事件を画策したのであれば、国家としての品格が疑われる事態だろうと思われます。大株主フランス政府も、議決権行使を倍化できる身勝手な法律まで作って、フランス政府による日産支配を強めようとしていますので、日本政府としてもその対抗策を考えるのはある意味理解できますが、ゴーン氏に代わる人材が日産から出てくるのかどうかも冷静に考える必要があるはずです。
思えば、安倍政権も経産省も、東芝の虎の子資産の半導体事業を韓国のLGに譲渡するに際しては、反対するどころか、日本の税金を投入してまで、実質的にLGが実権を握る半導体の新会社設立を後押ししました。LGも含めて韓国政府や韓国の企業が、日本に対して窮地を救うような行動を採ったことは皆無。それどころか、LGは東芝の半導体技術を盗んでさえいたのです。LGのみならず韓国は日本に対しては、逆の要求ばかりを延々と続けてきて今にまで至っています。その韓国に対して日本政府は、虎の子事業を無償譲渡どころか、持参金までつけて譲渡しましたが、韓国は感謝するどころか、徴用工判決に見られるように、ひたすら恩を仇で返して恬として恥じるところがありません。
貢げば貢ぐほど、より大きな貢ぎ物を要求するというのが韓国人の国民性です。安倍政権を含む歴代政権は、韓国のこの無法な要求に延々と応えてきました。その結果、韓国は日本政府は何をしても最終的にはより大きな貢ぎ物を捧げてくるはずだとの強い確信も持つに至っています。慰安婦合意破棄もその流れに沿ったものです。この韓流無限要求レール敷設は、韓国政府と日本の歴代政権との合作だともいえるわけです。歴代政権が、韓国に対してはいかに無能、無策であったを物語っています。
しかし日本政府は韓国には貢ぐ一方、倒産寸前の日産を救ってくれたルノーとその親会社フランス政府に対しては、恩を仇で返そうとしているらしい。安倍政権ないしは経産省と世耕大臣がこの事件の背後にいるという噂が事実であるならば、恥ずべき行為であるのはもとより、もっと不可解な隠された事情があるとも思われます。おそらくその隠された狙いとは、日産と三菱をずたずたにすることです。ずたずたの先に待っているのは、ただ同然で日産と三菱をセットにして食いあさろうと狙っているハゲタカであり、ハゲタカの後の死肉を狙うハイエナでしょう。
19年前の日産は、技術があっても車が売れないという宿痾のようなものを抱えていましたが、ゴーン氏の追放に成功しても、西川社長には、ゴーン氏の空白を埋めることができそうにも思えません。もしも、ゴーン氏追放後の成算なしに非常手段に出たのであれば、西川社長の経営者としての手腕はそれまでということになります。ゴーン氏の不正を追及するにしても、もっと別の方法はなかったのかとも思いますが、日産を潰して元も子もないという結果にならぬよう、心から願っています。
なお、韓流「九国博」や広がる韓流史観でご紹介しました、九国博での韓流展示がかなり変化していました。遣唐使実物模型展示では、細い細い経典5本の巻物が、その5倍ぐらいの太さの巻物10巻ぐらいに変わり、書物名も「経典」という一般名詞から「華厳経」という固有名詞に変わっていました。この名称変更は、読売新聞で報じられていたような、華厳経は新羅から伝わったとの説を否定するものだとも解釈できそうですが、かつてあった船に山積みされていた巻物の復活は、ガンとして拒否し、唐からの到来した書物は経典関係のごく限られたものだという、史実に反した捏造姿勢には基本的には変わりはありません。
また、南蛮貿易に関する露骨な捏造展示も撤去されてはいましたが、代わりに朝鮮通信使関連の些末な資料が展示されており、韓流展示という基本姿勢には変化はありません。さらには、「韓国」の古墳壁画も相撲絵と赤塗り画像は撤去されてはいたものの、明らかに露骨に修正した跡ありありの高句麗古墳壁画が展示されており、日本の古墳や他のアジアの古墳は完全無視しての韓流重視姿勢は、ここでも変化はありませんでした。わたしの批判が多少は効果があったのか、展示の変化はないよりはましだとはいえ、おそらく九国博内では、今も韓国人や韓国シンパが展示に関わっているのではないか思われます。この根本を変えなければ、日本歴史の改竄、ハイジャック工作は今後もつづくはずです。
装飾古墳に関していえば、現在の韓国や北朝鮮には存在せずに、かつての高句麗地方(現在はその大半が中国の吉林省)には優れた装飾古墳が残されているというのは、周知の事実です。より中国大陸に近接している高句麗に、中国直伝の技が伝わっているのは理の当然だともいえますね。かの有名な広開土王碑も高句麗作、中国吉林省が管理しています。韓国人はその高句麗の古墳を使って、韓国を必死でアピールしているわけです。韓国人はもっと自国を直視せよ、と言いたい。
韓国関連で言いますと、前号真の原因は何かで、河野大臣は、韓国の徴用工裁判に関しては原理原則を貫いていると書きましたが、韓国側の主張も汲んだ発言がWEBに出ていて、驚きました。日韓請求権協定では、個人の請求権は消滅していないが請求はできないという、訳の分からない内容のものでした。これが若い河野大臣の本心、正体であったとしたならば、日本の将来は暗い。また、韓国で開催されたフォーラムに参加した石破氏が、徴用工判決には日本中が驚きをもって受け止めていると発言したそうですが、「驚き」ではなく「怒り」をっもってという言うべきでした。この柔和表現は、石破氏の徴用工判決評価、親韓姿勢の表れですね。日本の国会議員なのか、疑いたくなりますね。