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2018/6/22
殺される子供たち

久本福子


 安倍政権は、深刻な人手不足に対応するために、外国人労働者の受け入れ枠の拡大を決定しました。労働力人口が減少しつつある昨今、深刻化する人手不足を解消するためには規制を緩和し、外国人労働者の受け入れ枠を拡大することは、避けがたい選択であることは認めざるをえません。しかし昨今の日本の労働力人口の急激な減少は、単に出生率の低下だけが原因ではないことにも目を向け、その対策も早急に講ずるべきです。

 その原因は多岐に渡りますが、以下、具体的に列記いたします。

 近年、日本で頻発している、親による子供の虐待死です。日本小児科学会が2016年4月に発表した推計によると、虐待死が疑われる15歳未満の子供の数は年間で350人に上るという。厚労省の集計ではもっと少なく、100人以下になっていますが、医療機関や警察、児童相談所など各機関により虐待死の判断基準が異なっていることから数字の違いが出てくるとのことですが、事件として報道されるのはごくごく一部であり、小児科医による診断が最も実態に近いのではないかと思います。子供たちが、実の親や義理の親から、あるいは母親の恋人である男性から虐待されて殺されるという事件が、近年激増しています。

 虐待死を含め、子供の死亡を防ぐには死亡原因の検証は不可欠ですが、CDR JAPANによると、アメリカでは1993年には、児童虐待の防止と対応に関する法律が施行され、15歳以下のすべての小児死亡を検証するCDRの実施状況の報告が義務化され、その後もこの検証体制の拡大強化が図られてきたという。CDRは、小児死亡検証を英語表記の頭文字で表したものですが、日本では、CDR JAPANが小児死亡検証・登録システム(CDR)の導入に向けて研究、啓発、普及活動を続けています。

 しかし日本では、子供の虐待死が激増しているにもかかわらず、CDR JAPANの報告によれば、「2017年の第193回国会で成立した改正児童福祉法の衆議院の附帯決議で、「六 虐待死の防止に資するよう、あらゆる子どもの死亡事例について死因を究明するチャイルド・デス・レビュー(CDR)制度の導入を検討すること。」が採択された。」という。附帯決議で、やっと検討することが書き加えられたというだけで、実施するにはほど遠い状況です。激増する子供の虐待死は放置したまま、安倍政権はIR法案や高プロ(高度プロフェッショナル)法案の強行採決を目論んでいます。野党も「モリカケ騒動」引き延ばし以外には関心がなく、与野党ともに、他国では例がないほどに子供の虐待死が頻発している状況を放置したままです。

 これも近年激増している事件ですが、幼女や少女たちが性的虐待を受けて殺害されるという事件も後を絶ちません。

 今から20年余り前の1997年、小学生が連続して殺傷される「神戸連続児童殺傷事件」が発生し、日本中を震撼させましたが、この事件は、酒鬼薔薇聖斗(サカキバラセイト)と名乗る14歳の少年による、想像を絶するような猟奇的殺人事件でした。この事件に関してはその事件の余りの異様さ、衝撃の余りの大きさから、かなりの期間に渡って、非常に多種多様な論評が数多く、多方面から出されてきました。

 この事件の衝撃の大きさは、14歳の少年による犯行であったことと、犯罪史上、人類史上、他に類を見ないような残忍さと猟奇性を帯びていたことに起因します。つまり当時のわれわれの社会にとっては、他に類例のないきわめて特殊な殺人事件であったということです。さらにいうならば、少年法の保護により「少年A」という匿名で表記された、この少年にのみ特有の事情により惹起された事件であったわけです。

 しかし事件から20年余りが経った今日、われわれの社会は様変わりしてしまいました。20年余り前までは、「少年A」にのみ特有の、他に誰も犯すはずのない猟奇的殺人事件でしたが、今や日本では、類似の事件がごく日常的に頻々と起こるまでに至っています。にもかかわらず、その異様さを異様だと指摘する論評は皆無に近い。マスコミは事件としては報道しますが、これらの猟奇的殺人事件が孕む異様性、猟奇性をそれとして取り上げ、その深層を分析しようという動きはほぼ皆無です。

 少年Aのように、殺害した少年の首を小学校の校門に晒すという行為にまで至る例はありませんが、性的快楽を得るためにだけ殺人を犯すという犯行の動機においては、少年A事件と、近年頻々と起こる類似の殺人事件とは全く同じです。少年A事件の反復だとも見なしうる事件ですが、両者の違いは、少年A事件発生時には特殊例外的な事件であったものが、今や特殊性がはぎ取られて日常化され、いわば社会的病理だと見なさざるをえないほどにまで、猟奇的殺人志向が蔓延してしまっていることです。

 加害者は大半が男性ですが、同級生を殺害した佐世保の少女や名古屋大の女学生のように、例外的に女性も含まれています。殺害される被害者は圧倒的に幼女や少女が多いものの、名古屋大の女学生のように、老女を殺害するケースもあります。

 性的快楽を得るために実際に人を殺すという例は、日本では少年A事件以前にはなかったはずです。なぜこの事件以降、類似の事件が発生するようになったのか。おそらく最大の理由は、少年A事件が性的快楽を求める衝動によって引き起こされたものだという衝撃的な事実が公の場では語られることが皆無に近く、結果としてこの重大な事実が隠蔽されてきたからだと思われます。

 わたしが、少年Aの殺人に至る動機には、尋常ならざる性衝動が関係していたらしいことを知ったのは、Aが医療少年院から退所する前ですから、今から10年ぐらい前だったと思いますが、朝日新聞の文化欄に掲載されていた、Aの矯正訓練に関与していた人物のレポートがきっかけでした。Aの矯正を目的とした入所期間は何度も延長されていましたが、長期に渡る矯正プログラムを経ても、Aの尋常ならざる性衝動を矯正することは、容易ではないという趣旨の記述もあったように記憶しています。

 しかし大新聞紙上で、具体的な記述や露骨な表現は使われず書かれたレポートだとはいえ、少年A事件と性衝動との関連を示唆する文章が公開されたにもかかわらず、この衝撃的な事実をめぐる論議はほとんど起こっていません。その後、少年Aは2004年に医療少年院を仮退所し、就職したらしいですが、2015年には、元少年Aという名前で『絶歌』という手記を出版し、再び世間を騒がせました。しかしこの時も、出版の是非を巡る論議は噴出したものの、事件と性衝動との関係についての論議は皆無です。

 少年A事件は、心身が未発達の段階で異様な性衝動への刺激を受けると、本人はもとより、誰にも制御不能な破壊的な衝動に心身が支配されてしまうことを示しているのではないかと思われますが、この事実が隠蔽されてきた結果、類似事件を生み出すような環境が野放し状態になってしまっています。その環境がいかなるものであるのかは、Aと同様、性的衝動により同級生を殺害したという、佐世保の少女が明らかにしてくれています。彼女は漫画の大愛好家で、フリマ(フリーマーケット)でも漫画を購入するほどの漫画好きだったという。両親は超一流大学出の高学歴、父親は弁護士という、少年Aとは異なって、外形的にはハイクラスの家庭環境で育っていますが、少年や少女を狂わせるには環境はほとんど意味をなさない事が分かります。少年Aを賛美していた名古屋大の女学生も、当然のことながら同様の性衝動に支配されています。最近発生した、苦しむ姿を見たという動機で女児を殺害した若者も同様でしょう。

 こういう若者を生み出してきた背景には、文字ではなく、絵や画像で表現される漫画やアニメや映像などの氾濫があります。日本では2000年の初頭頃から、これからの日本は製造業偏重の産業構造から脱却し、漫画やアニメが日本経済を支える構造にすべきだとの方針が政官によって掲げられ、漫画、アニメ重視の動きが加速しました。文科省主導による大学改革では、国公立大学からは、日本語であれ、外国語であれ、言語や文字を扱う学部学科が廃止されました。小中高の学習指導要領からも国語の時間が減らされました。最近では、こうした改悪は多少は是正されつつありますが、当時、九大ではアニメ制作の指導をするためと称して、某電機メーカの技術者を教授として招いたりもしていました。おそらくこの教授は入試問題などを作成することはできなかったはずですが、日本では国主導によって、大学の専門学校化が進められてきたわけです。この政策が日本社会にもたらした害悪は、モリカケどころの比ではないことは、昨今急増している子供をめぐる異常な事件が雄弁に物語っています。

 文字は漢字はもとより、アルファベットも含めて、すべて絵から生まれたものですが、なぜ絵文字が抽象的な文字に変化してきたのか。絵はそのものを直接表し、誰にも即理解が可能であるという利点を有していますが、その絵以外のものを表現することは不可能です。しかし抽象化された文字では、一文字で、あるいは複数の文字を組み合わせることで、様々な意味を表現することが可能となります。社会が発展し、相手に伝えるべき内容が質量ともに増えると、直接的な意味しか表現できない絵文字だけでは対応できませんが、文字を使えば、それも可能となります。しかしその文字を自在に使うためには、書き手にも受け手にも、文字を読解する能力が求められますし、文字の使用なしには、複雑な世界を読み解くことは不可能です。文字を使うことで、世界の複雑さに耐えうる理性も強化されるはずですが、日本では国主導で文字や言語が軽んじられる教育政策が推進されてきたわけです。

 そして、書店の子供向けコーナーには、サドマゾ系漫画や、同性愛漫画や近親相姦漫画がズラリと並ぶという異様な光景が展開されるに至りました。その後、書店の光景も変化してきましたが、某私立大学では、同性愛漫画の作者が大学教授になっただけではなく、学長にまでなるという特殊な事例まで発生しています。これも漫画、アニメ偏重の国の方針の間接的な反映だと思われますが、文字や言語の軽視は、漫画読者の激減を招くという皮肉な結果をも招いています。

3 先ごろ、WHOがゲーム依存症を病気だと認定しましたが、厚労省の推計によると、日本にはゲーム依存症が52万人にもいるという。当然のことながらその大半は若者ですが、日本政府は、学校にも行かず、仕事にも行かず、寝る間も惜しんでゲームに熱中する、ゲーム中毒患者にも何の救済策も行っていません。それもそのはずです。日本では政府主導でゲーム産業育成、支援に取り組んできたからです。民間企業が子供向けの商品開発に力を入れるのは、資本主義国としては当然ですが、日本ではゲーム産業育成に政府が多大な支援をしてきました。52万人もいるという日本のゲーム依存症患者の多くは、政府によって生み出されたともいえるのではないか。しかし日本政府は、子供を食い物にしてカネ儲けをしてきた責任も取らずに放置したまま、IR法案を成立させて、300万人以上もいるといわれている賭博依存症患者を、さらに増大させる決意を固めています。労働力人口の減少が政府の手によってさらに加速しそうです。

 文科省が発表した平成28年度の調査結果によると、小中の不登校児童生徒の数が過去最多になったという。小学校の不登校児は3万1151人、中学生は10万3247人。高校では減少しているそうですが、4万8579人。昨年度は、小中高合わせて18万2977人が不登校になり、引きこもり状態にありますが、国による不登校対策が強力に実施されたとの話は聞いたこともありませんので、不登校児や引きこもり児童も、放置に近い状態なのかもしれません。新幹線のぞみで無差別殺傷事件を起こした犯人も引きこもり経験者だったようですが、不登校や引きこもりなどの精神的な問題を抱えている子供たちの社会復帰は、簡単ではないことを思い知らされた事件でした。手遅れになる前に手を打たなければ、若者の自立や社会復帰は不可能だと思われます。またゲーム依存症と引きこもりとは、密接不可分だとの指摘もあります。

  日本は死亡率がかなり高い。厚労省が発表した平成29年(2017)人口動態年間推計に掲載されている人口動態国際比較によると、日本、韓国、シンガポール、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、スエーデン、英国の9カ国中、日本の死亡率は11.4%のドイツに次いで2番目に高い10.8%です。韓国の死亡率は日本の約半分の5.5%、韓国の特殊出生率は日本の1.44よりも低い1.17ですが、死亡率が非常に低いので、人口の増減でいうと、韓国の方がプラスになっています。

 しかし皮肉なことには、韓国では若者の失業率が非常に高く、韓国政府直々に韓国の若者の日本での就職斡旋活動を実施していましたが、日本の深刻な人手不足もあり、すでに2万人余りもの韓国の若者が日本企業に就職したという。韓国は先進国入りした現在でも、日本企業への就職を斡旋しなければ、若者の就職先はないという事実は、韓国民に広く知らされているのでしょうか。

 目下の人手不足は、外国人労働者の手も借りながら乗り切るしかありませんが、日本の人口減少は、高すぎる死亡率を下げることでかなり改善されるはずです。日本では近年、相次ぐ地震や豪雨などの「自然災害」によっても多数の死者が出ており、死亡率が上昇する原因の一つになっていますが、死者を蘇らせることは不可能です。しかし、上記1から5で見てきたような死者や精神疾患は、社会的な施策によって防げるはずであり、政府には防ぐ責務があるはずです。カネさえ儲ければ後は野となれ山となれ的政策が、子供たちの精神を病的に歪めてきたことに、安倍政権も含めた歴代政権はもとより、われわれ国民も怖れををもってこの現実を直視すべきだろうと思います。


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